| 「包帯とボクと」 右手が使えないの巻 著者:T-2nd 2004.02.24 |
4時間目は体育の時間。
男子は校庭でハイジャンプ。女子はフットサルだ。
「シンジ、行かんかい」
「いいよ、べつに」
男子は完全にダレていた。
校庭のすみに、厚さが30cmぐらいある馬鹿でかいマットを二つ置き、
その両端の手前側にポールを立て、ハイジャンプ用のバーをわたしている。
バーの右斜め前に一列に並び、順番が来たら走っていってジャンプ。
その後は左斜め前に並び、ジャンプ。終わったら、右側。
50分間、えんえんと繰り返し。体育の教師はどこかに行ってしまっている。
「真面目にやったってしょうがないよなぁ」
誰に言うでもなしにケンスケがつぶやく。
はさみ跳びやらベリーロールやらを覚えてもなぁ、
「役に立たないよねぇ」
なんとなく返事をした。
それなりに楽しんでやっている連中もいるが、シンジ達は校庭の端のネットに
もたれかかって座り、女子を見ることに専念していた。
緑色のゴワゴワしたネットは座り心地が悪いが、無いよりはマシだ。
女子はきゃーきゃー言いながらボールを追いかけている。
アスカだけは髪の色が違うから、どこにいるかすぐ分かった。
「いいよな、サッカー」
ケンスケはサッカーをやりたいようだ。
「……いい」
「いいのう」
二人とも同じような答えを返したが、考えていることは三者三様だった。
「ブルマはいいね。リリンの生みだした文化の極みだよ」
突然、頭上から声がかかった。後ろを見上げると、2階の窓からカヲル君が顔を出していた。
教室を抜け出してサボっているらしい。
「めずらしく気が合うたな」
フフン、と微笑む。
「お前は男が専門だったんじゃないのか?」
ケンスケが茶化した。
するとカヲル君は大げさに肩をすくめ、わかってないなと言わんばかりに首を振る。
「そんなことはないさ。僕にとって、男と女は等価値なのさ」
この言葉に凍りつく三人。
「そ、そう。じゃあ休憩は終わりにしようか」
あわてて立ち上がる。
「がんばってね、シンジ君」
カヲル君がウインクした。
そそくさとみんなの所へ向かう。
だが、シンジは背後からの視線を感じ続けていた。
絡みつく視線っていうのはこういうものなんだろうか。
しょうがなく列に並ぶ。女子の方を、校舎の方を見ないように注意深く振り向くと、
座り込んでこちらを見ているアスカが目に入った。
アスカが見てる。
そのときシンジの胸中によぎった思いはどのようなものだったのだろうか。
おそらく本人にも明確には分からないのであろうが、
少なくとも周囲の人間から見れば、
彼ははりきっていた。
以前に教わった跳躍方法を反芻する。走っていって、右足で踏み切って、
左足からバーに巻きつくように回転する。
大丈夫。よし、いこう!
右手をぎゅっと握り締めると、シンジは駆け出した。
全力で走り、右足でジャンプして、バーのまわりを回るようにして飛び越える。
完璧だった。
体が浮く。
飛び越えてから下を見ると、左右に並べたマットがずれてしまっていて、
間が空いてしまっている。
しかも、そこに落ちるどころか、自分の勢いは止まらない!
着地までの一瞬、全てがスローモーションで見える。
それなのに、体は全く動かない。
ドサッ。
大きな音を立てて、シンジは着地した。文字通りに。
「大丈夫か!」
みんなが慌てて駆け寄ってくる。
体の下敷きになった右腕が痛い。
また、かっこ悪いとこ見られちゃったなぁ。
保健室に連れて行かれながら、シンジはそんなことを考えていた。
保健室で簡単に治療をしてもらったが、どうにも右手が痛い。
右手から着地してしまったようだ。
「念のため、病院で診てもらってね」
と保険医に言われ、ネルフの医療施設に向かうことにした。
教室へカバンを取りに戻る。
給食の準備中なのか、廊下には誰もいない。
廊下から、窓の外の木々が見えた。
常夏のこの街にあって、木々は濃い緑の葉を茂らせている。
かっこ悪いなぁ。
右手を握ってみたら、にぶく痛んだ。
「シンジ。平気なのか?」
教室に入るとケンスケが声をかけた。
「とりあえずはね。今から病院に行ってくるよ」
ケンスケの問いかけに応えながら帰る準備をする。
「いいなあ。堂々と帰れるなんて」
シンジは苦笑した。怪我がたいしたことないと判ったからこその冗談だろうけど、
本気で羨ましがってるのかもね。
カバンに教科書を詰めて立ち上がると、いつのまにか自分の右側にレイが立っていた。
シンジと目が合うと、短く言った。
「私が持つわ」
「え?これ?」
シンジは自分のカバンを見やった。
うなずくレイ。
だいじょうぶだよ。そう断ったが、レイはカバンを持つと、教室の外へと歩き出した。
「ちょっと待ってよ」
あわてて追いかける。
「綾波は授業があるだろ?」
「病人は余計な気遣いをしなくていいの」
「でも…」
どっちかっていうと、僕のセリフ…。
レイはどんどん歩いていく。昇降口にやってくると、そこにはカヲルが待っていた。
「やあシンジ君。病院に行くのなら付き添うよ」
二人の間にレイが立ちふさがった。
「あなた、邪魔」
「君こそ」
お互いとも普段と変わらない表情で対面しているが、太陽の反射だろうか、
二人の間にオレンジ色の光が見えた気がした。
パターン青ってやつですか?
そのとき。
ちょっと待ちなさい!背後から声がかかった。
振り向くとそこにはアスカが。
「逃げ出そうったってそうはいかないわ!」
逃げるって?怪訝な表情を察したのか、彼女はさらに続けた。
「学校を抜け出してファーストと遊びに行くんでしょ」
「逃げるんでも抜け出すんでもなくて、検査に行くんだけど…」
背後からは殺気が続く。
「どうだか。見張っておく必要があるわね」
無いよ。
「アスカこそ、学校を抜け出したいだけなんじゃないの?」
アスカは、「ほう」と声に出さずに驚いて見せた。口元がひきつって、笑っているようにも見える。
彼女の体がわななき始めた。
やばい。
後ろにはシト、前にはヒトですよ。ええ、絶体絶命ですってば。
この際、カバンはあきらめよう。よし。
上半身だけ左を向く。
「あれ?加持さんじゃないですか。どうしたんですか?」
「えっ!?」
アスカは両手を胸の前で握り締め、歓喜の表情を作って右を向く。今だ!
一目散に右へ――他学年の昇降口へ走り出した。
三十六計逃げるにしかず。
中国の古言が頭をよぎる。
でも、なんで僕は逃げてるんだ?
すると物凄い速さでアスカが追いかけてきた!
激昂してアドレナリンが出ているのか、人間離れした速さだ。とたんに首根っこをつかまれる。
「あんたねえ」
低い声でとてもゆっくりと喋る。
「よくもこのアタシをたばかってくれたわねぇ」
「も、もう逃げないから。ホントだから」
情けない声しか出ない。
結局、アスカに連行されるがごとく、学校を後にした。
レントゲン写真をライトの前にセットすると、医師が説明を始めた。
「簡単に言うとね、右手の小指の骨が折れてます」
指の先っぽから数えて三番目の、手のひらに一番近い骨が折れているのだそうだ。
レントゲンを見るとシンジにもはっきりわかった。
「マットの横に手がはみ出しちゃうことって結構あるのよ」
医師が気の毒そうに話した。災難だったわね、そう言いたいのだろう。
「いえ、あの、マットの向こう側へ飛び出しちゃったんです」
医師の表情が固まった。
アスカは心底あきれているようだ。
「ま、まあ、あなたの跳躍がそれだけ大きかったってことかしらね」
まてよ、いまあきれるってことは…?決定的瞬間は見てなかったの?
良かったというかなんというか。
そもそも見てなかったんなら跳ばなかったんだけどな。
「とりあえず、動かさなければ治りますから。骨折だけですからね。
ただ、小指だけ動かさないというのは難しいので、薬指と一緒に縛ってしまいます」
そう言いながら、プラスチック製の板を小指にあてて、その板と小指と薬指とを、ぐるぐると
包帯で巻いてしまった。
「三週間もすれば治りますよ」
発令所にはなぜか、みんながいた。父さんまでいる。
演習でもやっているのかもしれない。
とにかく、リツコさんとミサトさんに報告してしまおう。
アスカはというと、さっきからずっと騒いでいる。
「あんたってホントに馬鹿ね」
「うるさいなあ」
そういう言い方じゃ、僕のすべてが否定されちゃうじゃないか。
「だいたいねえ、エヴァに乗れなくなったらどーすんのよ!」
「この程度なら支障ないわよ」
リツコさんがたしなめる。
「第四指,第五指が曲がらなくてもコントロールレバーは握れるし」
握らなくてもいいし、と口に出さずに続けた。
「いい機会だから聞いておきたいんだけど」
アスカがリツコさんに言う。
「もし、私達が全員出撃できない場合、どうすんの?」
「あなたが考える必要は無いわ」
「答えなさいよ!」
見るに見かねてミサトさんまでやってきた。
「落ち着きなさい。
使徒襲来時にチルドレンが不在の場合、N2兵器を含む通常兵器で足止めして、
マルドゥック機関にチルドレン候補を送ってもらう。こんなとこかしら」
「なによそれ。そんなんで間に合うっての?」
「さあ?」
ミサトさんは手をひらひらさせながら席に戻っていった。
一方アスカは憤懣やるかたないらしい。
「いざって時の代わりが一人や二人いたってよさそうなもんでしょう!」
やれやれ、誰に対して怒ってるやら。
ふと司令席を見ると、アスカの発言に反応したように、父さんの眼鏡がキラリと光った。
何か思うところがあるんだろうか。実は代わりがいるとか?
いずれにせよ、父さんの考えていることはさっぱりわからない。
とにかく、用も済んだことだし。
「リツコさん、とにかくそういうわけなんで、治るのに三週間ほどかかりますので。
アスカ、帰ろう」
「だいたいあんたが…」
不機嫌を隠そうともしないアスカをなだめながら、シンジは発令所を後にした。
駅に着くころには、アスカもようやく落ち着いたようだった。
ホームに立ち、モノレールが入ってくるべき何も無い空間を見ながら、シンジは話しかけた。
「あのさ、アスカ」
「なによ改まって」
「右手に包帯を巻いてるからさ、水仕事ができないんだ」
それで?とでも言いたげにアスカが睨む。
「もう少し具体的に言うとね、料理と洗濯が難しいんだ。
洗濯は、まあ、どうにかなるだろうけど、ね」
「私にやれって言ってんの?」
モノレールがホームに入ってきた。
「手伝って欲しいんだよ。食材や食器を洗えないからさ」
面倒だからイヤ。そう言うと、アスカは到着したモノレールに乗り込んでしまった。
ゆっくり歩いてアスカの元へ行く。彼女は車両のほぼ真ん中の席にふてぶてしく座っていた。
「言うと思ったよ。それじゃあ、食事は全部ミサトさんにお願いする?」
「はあ!?なんでそうなるわけ!」
「だって三人しかいないじゃない」
アスカは目をそらすと、腕組みをして片手をあごに当て、なにやら思案し始めた。
いわゆる考える人のポーズだ。
モノレールがゆっくりと動き始めた。僕もアスカの隣に座る。
この車両には僕達しかいない。
「外食でいいじゃない」
自分の右、窓の外を見たまま、ぶっきらぼうに言う。
「三週間ずっと?
一流ホテルならルームサービスだけで済むかもしれないけど、
あそこではそうもいかないでしょ?」
まだ悩んでいるようだ。とはいえ、ただやりたくないだけなんだろう。
もう一押しか。
これは僕のためだけじゃなくアスカのためでもあるわけだし。
「ミサトさんの料理、食べたことあるでしょ?
あれと、コンビニ弁当しか、選択肢がなくなっちゃうよ」
とはいえ、ミサトさんは料理が下手ではないと思う。でなきゃ、自分の作ったものを
嬉々として食べるわけが無い。おそらく、狙った味は出せているのだ。
好みが僕たちと違いすぎるだけなんだろう。お酒が好きなことと関係あるのかもしれない。
「だいたい、あんたが怪我しなきゃ何の問題もなかったのよ!
バッカみたい。地面にダイブして」
まだ言うか。
「僕が馬鹿だから、天才であるところのアスカに頼んでるんだって。
それともひょっとして…」
言葉を切って反応をうかがう。
「なによ!」
「料理ができないんじゃないの?やだなあ、それじゃ天才が聞いてあきれるよ」
思いっきり馬鹿にした口調で言ってやった。
「はあ!?アンタ、誰に向かって口きいてると思ってんの!?
私にできないことなんて無いわよ」
「またまたぁ。できないからって強がることは無いよ」
アスカは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「いいわよ。やってやろうじゃないの!」
シンジは安心してニコリと笑った。
「約束だよ」
そっぽを向くと、それきりアスカは黙ってしまった。
モノレールを降りると、シンジはアスカを引っぱって駅前のスーパーマーケットに入った。
「めんどくさいわねぇ、なんでアタシが」
「手伝うって言ったでしょ」
「料理を手伝うだけ!」
人前でどなんないでよ、もう。
「買出しから始まって、食器をしまうまでが全部料理さ。
今晩は何を作る?」
「何って…」
肩をすくめて、大きく首を振っている。
なんでそんなにオーバーアクションかな。
「あんたが作るんでしょうが。自分で考えなさいよ。
それに、普通は買うものを決めてから買いに行くんじゃないの?」
いかにもあきれたといった感じで、あたかも幼稚園児を諭すかのようにアスカは言った。
「せっかくだから”天才”の腕前を拝見させてもらおうと思ってね。
それにさ、まだ何も買おうとしてないでしょ?いま、何を買うか決めてから、買うんだよ」
やれやれだぜ、と何処かで読んだ漫画の主人公のように呆れてみせた。
アスカがまた怒り出しそうなので話を戻す。
「でさ、何を食べようか」
「べつに適当でいいじゃない。出来あいの物を買ってけば」
まあ、それでいいか。コロッケでも買って帰って。
「じゃあ、お味噌汁だけ作ってよ」
惣菜と一緒にネギや大根を買うことにした。
店を出ると、外はかなり冷えていた。常夏とはいえ、昼と夜の寒暖の差は結構ある。
「よこしなさいよ」
そう言うとアスカはスーパーのビニール袋をひったくった。
「べつに…左手は使えるし。右手でだって」
持てるんだけど、と言おうとしたが、アスカは気にも留めずに歩いていってしまう。
置いてかないで欲しいなあ。
小走りに追いかけて、右側に並ぶ。表情はよく見えない。
右下から覗き込むように見上げて言った。
「ありがと」
パン!
…叩くことないじゃない。怪我人なのに。
無言で歩くこと10分。マンションに帰ってきた。
アスカは着替えるため、自室に入った。シンジはというと、買ってきた物を冷蔵庫へ
つめている。
ご飯は昨日の残りが少しあるな。
惣菜や冷蔵庫のご飯を一つずつ電子レンジで温めていく。
「それで、どうすればいいの?」
アスカがやって来た。
「お味噌汁をよろしく」
「鍋は?」
「まず手を洗ってよ。それから野菜も」
シンジはそう言いながら鍋や包丁を準備する。
アスカはおとなしく指示に従っている。
「じゃ、頼むね」
そう言うと、シンジは温めた物をテーブルに並べ、リビングへ行ってしまった。
味噌汁。あったかい物。いつもシンジが作っている物。日本の料理。
アスカは包丁とまな板を前に、ぼんやりと考えていた。
作れって言われて作れるわけ無いじゃない。作ったこと無いんだから。
簡単な物なら作ったことはあるが、ドイツで味噌汁を作る機会など無かった。
どうしよう。
やり方がわからない以上、聞くか、やってみるか、どっちかしかない。
天才的頭脳をもってすれば、どちらもデメリットしかないことがすぐにわかる。後者は事態を
悪化させるだけなんだから…。
「シンジ!」
アスカはキッチンから不機嫌に叫んだ。
「どうしたの?」
シンジは顔をのぞかせて、シレッと聞いた。
こいつ…。覚えてなさいよ。
「よくよく考えてみたら、私、ドイツで暮らしてたから、日本料理なんか作ったこと無いの。
だから、あんたが指示しなさいよ!」
なぜか最後は命令口調。
アスカって、いさぎよいよな。僕だったらこうはできないかも。
シンジから見ると、やっぱりアスカはカッコよかった。
「そうなんだ。じゃあ僕の言うとおりに頼むよ」
そうは言っても、そんなに難しくないし、僕は我流でやってるだけなんだけど。
「大筋はね、具材を煮て、だしを入れて、味噌を入れる。それだけ」
「ふーん」
よくわかんない。
「まずは鍋に水を入れて」
アスカは言われたとおりにする。
「で?」
「コンロに置いといて、具材を切ろう」
鍋を置くと、野菜をまな板にのせる。
「この大根とネギを切るのね?」
シンジはうなずいた。
「あと、ワカメを入れようか。その戸棚の中に乾燥ワカメが入ってるから、鍋に入れてよ」
アスカはワカメの袋を持って鍋の前に立ち、シンジに振り返った。
「量は?」
「てきとう」
このぅ!アスカが睨みつける。
「左手にちょっと出したぐらい、かな。……そう、そんなもん」
シンジはさっきから落ち着いている。普段の自信の無さからすると奇妙だが、
主導権を握っている余裕のせいなのかもしれない。
ワカメをしまうと、アスカはまな板に向かった。
またしてもシンジを振り向いて聞く。
「どっちから?」
「どっちでも」
「ちょっとアンタ、教える気あんの!?」
シンジはにこやかに応えた。
「どっちからでも大差ないんだよ。それじゃ、ネギから切ろうか」
アスカはまな板に長ネギを置くと、今度は振り返らずに聞いた。
「切り方は?」
「まかせるよ」
「あんたねえ!」
アスカがキッと振り向いて怒鳴った。
包丁を握り締めたまま怒っている様は、さすがに怖い。
「決まりなんて無いのさ」
まだ無言で睨んでいる。
「自分で食べやすい大きさに切ってよ」
普通は輪切りにするんじゃないかな。そう付け足した。
切ったら鍋に放り込んで、次は大根。
「これはどう切るの?」
「好きなように切って。ただ、大きすぎるとなかなか煮えないし、食べづらいから。
小さすぎると形が崩れちゃうし。一口大が目安かなあ」
アスカは半分ぐらいしか聞いていなかった。
教える気が無いんならそれでいいわ。失敗したってアンタも食べるんだからね!
切ったものを鍋に放り込む。大きさ、てきとう。形、てきとう。
「後は煮込んで、煮えたら味をつけて終わり」
アスカはコンロに火をつけ、鍋にふたをした。
「そろそろかな」
シンジはそう言いながら蓋を取った。
「じゃあ、このだしを入れてよ」
「何それ」
シンジの指差す小瓶を胡散臭げに見やる。
「だし、だけど。市販の」
「味噌汁って、味噌で味付けるんでしょう?そんなもの要るの?」
「じゃあ、味噌を溶いて」
シンジの言うまま、冷蔵庫から味噌のパックを取り出す。
「量は……それぐらい。……あっ!」
アスカは鍋に入れてしまった。
「ちょっとずつお湯に溶かすんだよ。まあいいや。かき混ぜてみて」
見た目はすっかり味噌汁である。
「火を止めて、味見してみて」
少し飲んでみる。
「なんか、おいしくない」
「味がしないでしょ?」
「うん…なんていうか、しょっぱく無いっていうか」
アスカはそう言いながらいぶかしげに鍋を見る。
「本当はね、下味をつけないといけないんだ。
ちゃんとした料理人だと、鰹節を入れたり、煮干を入れたり…。
でも、いちいちだしをとっていられないから、入れるだけでいいやつが売ってるんだ」
これを二さじ入れてごらん、とシンジはアスカにビンを渡した。
「今度は味がする」
アスカはちょっと驚いている。
その様子を見てシンジは微笑んだ。
「完成だね」
ミサトはまだ帰宅しない。
二人だけで食事を始める。
リビングのテレビはつけっぱなし。音量はしぼっている。
シンジは食べながらびっくりしていた。大根が一つ一つ、形が違うのだ。
ピラミッド型の大根って…。わざと変な切り方しなくても。
もっとも、それぞれの体積はさほど変わらないから、生煮えだったりはしない。
味は問題ないし、まあいいかな。
アスカは、そんな様子を何となしに観察していた。
今日、改めて知った。やっぱり冴えない奴だわ。
馬鹿でドジ。だけど。
だけど、私の知らないことも知っている。
こいつはこいつなりに経験をつんできた、そういうことなんだろう。
正面で食事しているのほほんとした顔を見ながら、アスカは同居人を少しだけ見直した。
Pulululu...
電話が鳴った。アスカは無反応。
シンジが電話をとった。
「もしもし…。ああ。
ええ……そうですか、わかりました。
え?そ、そんなことしませんよ!
はい。それじゃ」
受話器を置くと、アスカに話しかけた。
「ミサトさん、帰れないってさ」
「そう」
どうでもいいらしい。
「アタシ、お風呂に入るから。覗くんじゃないわよ」
興味ないよ、そんなこと。
「後でお皿洗っておいてね」
「なんで!?」
「約束したじゃない」
アスカはまた機嫌が悪くなったようだ。
あとでね。そう言い捨てて、出て行ってしまった。
シンジは大事なことを思い出した。冷蔵庫から小魚を取ってくる。
「ペンペン、ご飯だよ」
小型冷蔵庫の前で魚を振ると、ペンペンが出てきた。
彼が魚を飲み込む姿を見ながらぼんやりと考える。
むこう三週間、なるべく右手を動かさずに…。大丈夫だろうか。
右手を眼前にかざしてみる。痛みは無い。
今日はこれでいいとして、三週間、洗濯が大変そうだ。
父さんはどうしてるんだろうな。自分で家事をやっているのだろうか?
白い包帯。
やくざが小指をつめるのは、刀を握れなくするためだと聞いたことがある。
鉛筆こそ握れるものの、物を強く掴むことができない。
やっぱり、かっこ悪いよなあ。
彼女と対等にわたりあえるところなんて、一つも無い気がする。
シンジは頭を振ると、リビングに入り、テレビを意味なく見始めた。
アスかがやってきた。
無言でキッチンに入る。
なんとはなしにアスカの背中を目で追うシンジ。
「見張ってんの?」
背中を向けたままアスカが聞いた。
ううん。曖昧に返事をして、視線をテレビに戻す。
音を小さくしたままなので何を言っているかほとんど聴こえない。刑事物の
ドラマをやっているようだ。
水を流す音がキッチンから聴こえた。
「怪我してんだから休んでればいいじゃない」
「うん」
でも、自分だけ何もしないのは、彼女に悪いような気がした。だから、つきあってここにいる。
彼女には意味が無いだろうけど。
シンジは5分ほどテレビを眺めていたが、ダイニングにやって来て、アスカに質問した。
「このあとってどうする?」
「寝る」
そうじゃなくて、とシンジは言い直した。
「ずっとパイロットを続けるの?」
アスカは呆れた顔をして首だけ振り向いた。
何を言いたいの?表情で、そう問いかけられている気がした。
「エヴァのエースパイロットになる夢はかなえたんでしょ。
で、この先何十年も、40や50になってもパイロットを続けるの?」
してみると、あまり先のことは考えていなかったかもしれない。
ふむ。
自然と声が漏れた。
「そうねえ、私ならいつでも何でも出来るから、あんまり考えてなかったけど」
自分に言い聞かせるように言う。
「どうしようかな」
手元を見ながら、なんとなく、そう口にした。
シンジは椅子に腰掛けると、話を続けた。
「例えば5年後は、僕だったらとりあえず大学に行くけど、アスカは働くの?」
「そうねえ。また大学で学んでもいいし…。仕事してもいいし」
「アスカだったらさ、アイドルとかもできるんじゃない?」
「頭脳と美貌のどちらをメインにするか、それが問題ね。
罪だわ、私って」
食器を洗いつつ、自分で冗談を言いながらクスクス笑っている。
「一流大学出身でアイドルかぁ」
シンジはそう口にしながら、15年ほど前の女優を連想してしまった。
天から二物を与えられたと称された、ひょっとこみたいな顔の女性…。
「やっぱり、研究職が向いてるのかもね」
あわてて方向修正。
「研究ねぇ…誰かさんみたいにコンピューターとにらめっこするのもねえ」
「工学系に限らなくても」
仕事を終えると、アスカは問い返した。
「あんたはどうなのよ」
そう聞きながら、シンジの向かいに座る。
え?僕?
「とりあえずは進学するけど…」
「何を学ぶの?」
う〜ん……。
「どんな仕事したいの?」
シンジはニコッと笑った。
「考えてなかった」
邪気の無い顔を見て思う。
バカ、というより天然ボケだわ。
「とにかくさ、今後どうなるのかなと思って。
アスカが昼間に言ってたことを聞いて、ちょっとね」
アスカ、怪訝な顔。なんか言ったっけ。
「『パイロットの交代要員はいないのか』って。
パイロットの年齢制限とか、使徒は何十年も来るのかとか、考えてみたんだけどさ」
包帯の巻かれた右手を見ながら、小さな声で喋る。
使徒が打ち止めになったら?
ネルフは解散するのだろうか。
「”人類をサードインパクトから守るため”、ネルフがあるんでしょう。
だったら、使徒が来なくなって、サードインパクトが起きる心配がなくなっても、
人類を守るために活動し続けるんじゃないの?」
シンジはキョトンとしてアタシを見てる。想像できないらしい。
「紛争調停とか、災害救助とか、そういうことをエヴァでやるんじゃない?」
シンジは軽く唸りながら天井を見上げた。
「大学をいくつも出て、人命救助かあ」
急に視線を下ろす。
「まるでサンダーバードだね」
アハハハと屈託無く笑う。その顔を見ていたらなんだかアスカもおかしくなってきた。
「フフ、パパが司令官。ぴったりじゃない」
アスカはやわらかく笑うと、スッと立ち上がった。
おやすみ、バージル。
笑顔で言うと、自室へ向かう。
おやすみ、ペネロープ。
そう応じて、シンジも部屋に入った。
今日はいろいろあったけど、うん、楽しかった。
翌日。
学校へ到着するなり、シンジはカヲルに誘われるがまま、廊下を歩いていた。
「昨日、君のカバンを預かったままだからね」
そういえばそうだったかも。ドサクサで失念していた。
置いておく場所が無くてね。カヲルはそう言いながら、シンジを教材準備室へと連れてきた。
要するに倉庫だ。
「どこに置いたの?」
突然、シンジは後ろから突き倒された!
「シンジ君、いや、シンジきゅん。
僕は君の全てが欲しい…!」
きゃああああぁぁ
どこかでシンジの悲鳴が聞こえたような気がした。
ったくあの馬鹿、どこにいるのよ!
アスカは見当をつけて部屋に飛び込む。
するとそこには、目を回しているカヲル、半泣きのシンジ、それをなだめるレイがいた。
「もう大丈夫。碇君はわたしが守るもの」
絆だから。そうつぶやいた。
「さあ」
レイがうながす。
「どこへ?」
「一つになるのよ」
え?え?
シンジは何がなんだか分かっていない。
「やめなさいっての!」
アスカが背後からレイをどつく。
レイが慌てて振り向くと、仁王立ちしたアスカの姿。
「碇君、いずれ、また」
レイはそう言い残すと、足早に立ち去った。
シンジはうずくまって怯えている。
右の方にはブルマを握り締めて気を失っているカヲルがいたが、
アスカは意に介さず、シンジに声をかけた。
「大丈夫?」
すると、あの内気なシンジが抱きついてきた。よっぽど怖かったらしい。
時折アタシの名前を呼ぶ。子犬かっつーの。
「離れなさいよ。
あんた、一人で生きていけるの?」
「そんな難しいこと聞かれても…」
難しくないでしょ!こいつ、本物のヘタレね。
「まったくもう、そんなんじゃ、バージルの名が泣くわ」
ふらふら立っているシンジに言ってのけた。
「僕はバージルってよりもジョンだよ、ミンミン」
「誰よそれ!」
パァン。
小気味よい音が響く。
今日もまた、シンジにとっては波乱万丈の、おだやかな長い一日になりそうだった。
終わり
【僭越ながらドラえぽんのコメント】 なんだか日常のほのぼのな二人って感じで良いッスね〜。 というわけで、T-2ndさん初投稿ありがとうございます(^ ^ 文句を言い合いながらも楽しそうな二人に思わずニヤニヤしてしまいますね。 ホントは心配してちょっぴりシンジ君を気遣ってるアスカ様も素直じゃなくて…(・´д`・ しかしカヲルは何故ブルマを握って……シンジきゅんに着せるつもりだったのか!(笑 最後のシーンは今の二人の微妙な関係が出てて良いッスね〜(^ ^ さあ、素敵な作品を書いてくれたT-2ndさんに是非ともご感想を! T-2ndさんへのご感想はこちらへお願いします。 または感想掲示板へもお気軽にどうぞ。 |
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