| おつきさま |
−1−
はっぴぃばーすでい・とぅー・ゆー♪
はっぴぃばーすでい・とぅー・ゆー♪
はっぴぃばーすでい・でぃあ・アスカー♪
はっぴぃばーすでい・とぅー・ゆー♪
「おめでとう、アスカ!」
「おめでとう!」
「おめでとさん!」
「おめでとう!」
口々に贈られる心からのお祝いと笑顔。その中心にいるのは赤みがかった流れるような金髪をたなびかせる少女。
彼女は照れたように顔を赤くして笑顔で僕を見る。そんな彼女を見てもう一度おめでとう、と彼女に笑いかけた。
透き通るような青い瞳に、爛々と嬉しさを含んだ光を輝かせた彼女の笑顔。それを見ているだけで僕の心が暖かくなる。
今日は彼女の誕生日会。
友人達を招いて彼女の家で開催している。
メンバーはもちろん今日の主役の彼女、惣流・アスカ・ラングレーを筆頭に、ぼく碇・シンジ。そして、彼女の親友の洞木さん。それと僕の親友でもあるトウジとケンスケも一緒だ。まあいつもの仲良しメンバーって奴だ。
うち解けた仲間と彼女の両親に祝福されて、いつにもまして幸せそうな彼女。
彼女が幸せそうだと、僕も幸せな気分になる。どうしてかな?
まあ、良いか。幸せを感じる事は良いことだよね?
僕等がにこにこと目を合わせていると、それをめざとく見つける目が四つ。
「せんせぇ〜、いつもいつも夫婦揃って仲のおよろしいことでんな〜。」
「全く、シンジと惣流はちょっと目を離すとすぐこれだもんな。」
二人そろってニヤニヤと近づいてくる。
ブチッ
あ、また切れた。
「だ〜れが夫婦ですって!?この3馬鹿マイナス1が〜!!」
すごい言いようだなあ。───あ、ちなみにマイナス1の1は僕の事。彼女と洞木さんは僕等の事を3馬鹿トリオと呼んでいるんだ。
でもまあこれもいつもの事。僕等のコミュニケーションみたいなものだ。
コミュニケーションにしてはちょっとやりすぎな気もするけどね。
と、二人を見るともうタンコブだらけ。
アスカもこれがなければなあ、と隣で息を切らしてる彼女へ視線を移す。
でもこうじゃなければ彼女らしくないよな、とも思う。
結局僕はこんなアスカを見ているのが一番好きなんだよね。僕って変なのかな。
僕は笑いながら、この幸せがいつまでも続けば良いなと思っていた。
そしてこの時はまだ、当然のようにずっと続く物だと信じていた。
−2−
家の外は冷たい風が吹きすさんでいる。季節はもう師走。
寒々と冷えた夜の街に犬の遠吠えが響いていく。
冬の闇は夏よりも深い色をしている。その闇の一番深いところまで響くような遠吠えの声が街に響いていた。
「うるさいなあ。」
最近ここらへんの犬うるさいんだよな、と呟きながら換気の為に開けていた窓を閉めに行く。
と、そのままターンしてまた枕に突っ伏した。
「・・・アスカ、どうしたんだろう?」
最近彼女の様子がおかしい。
明らかに僕を避けているようだ。
アスカ───彼女はいわゆる僕の幼なじみだ。お隣の惣流さん家の一人娘。
お互い両親が大学での研究職で、そろって家を空ける事が多かったせいか子供の頃から僕等はいつも一緒だった。───僕等の両親は同じ大学で働いている同僚で、友人同士でもある。
過去を思い返しても、何かをする時に彼女が側にいなかったという記憶のほうが少ない。
どちらかの親が居るときは必ずどちらかの親が居ない事が多い。そんな理由もあって、二人でお互いの家を行ったり来たり。
学校へ行くときも一緒。帰る時も一緒。家でご飯を食べるときも一緒。
リビングでテレビを見るときも一緒。小学5年生まではお風呂も一緒に入っていた。学校のみんなにはもちろん内緒だけどね。
彼女は僕の生活の一部。それほど僕にとっては当たり前の存在で、そして誰よりも一番近い場所にいる人だ。
そんな彼女が突然、僕の前から姿を消してしまった。
いや、姿を消したというのは語弊があるかも知れない。
今も彼女は隣の家に居るはずだ。
ちらりと窓のすぐ向こうにある彼女の部屋を見るが、彼女が居るはずの部屋には今日も灯りが着いていない。
ふうっとため息を付いて、僕は始まりの日を思い浮かべた。
最初の異変は彼女の誕生日が終わって数日経った頃の事だった。
確か12月10日あたりだったと思う。
何も言わなくてもいつも起こしに来てくれるはずの彼女が、その日に限って来てはくれなかった。
情けない話しだが、彼女以外に起こされてもすっかり起きれない体質になってしまっていた僕は、時計を見て大慌て。大幅に遅刻をして学校へ行くことになってしまった。
風邪でもひいたのだろうか?と彼女を心配しながら教室へ入る。
先生にひとしきり怒られてから僕は席へ着いた。
その途中、見慣れた赤みがかった金髪が目に入る。
なんだ、もう来てるんじゃないか。
迎えに来れないなら来れないで一言くらい言ってくれてもいいのに、と自分勝手な文句を言いかけながら彼女へ視線を向ける。
その時彼女は何か考え事をしていたようで、僕が横に立つとハッと気が付いたように僕のほうへ視線を合わせた。
いつものように悪戯っ子のような明るい笑顔がそこにあると思っていた。
でも、そこにいたのは辛そうに瞳を僕から逸らす彼女。僕はその瞳を見てしまって何も言えなくなってしまった。あんな目で僕を見るなんて。彼女のあんなにつらそうな表情は初めて見た。
よく解らないけど、彼女は本当に様子がおかしかった。
一体どうしたんだろう?
その日から、彼女は僕と全く口を聞いてくれなくなった。
彼女の様子が気になってどんなに話しかけても、どんなに彼女を追いかけても、目線すら合わせてくれようとはしない。
そしてずっと何かを考え込んでいる様子。彼女は、僕以外の友人とも最低限の会話以外ほとんど話しをしなくなっていた。
周りのみんなも戸惑っているみたいだ。
最初の頃は「また夫婦喧嘩か?」などとからかってくる連中も居たが、尋常では無い彼女の様子に、みんなどう対応して良いか解らなくなっていた。
普段のやかましいくらいの元気な彼女の姿を知っている彼らには、彼女の今の様子はとても異質なものに見えるのだろう。
彼女の親友の洞木さんも心配して、なんとか話を聞き出そうとしていたが、何を聞いてもつらそうな笑顔を返すだけの彼女にどうして良いか判らないようだ。
そのつらそうな笑顔が目に入ると僕の心が軋みを上げるのが判る。
彼女のあんな顔はみたくない。
僕は彼女に何かしてしまったんだろうか?
僕が贈った誕生日プレゼントにあんなに喜んでくれたのに。
あの日、みんなが帰ってから渡した僕のプレゼント。
今年は僕も頑張った。おこずかいを貯めて、足りない分は家事の手伝いをしてバイト代を貰って買ったプレゼント。
嬉しそうに包み紙を開けていく彼女。中身を見た時信じられないような顔をしていた。
彼女が何年も前からずっと欲しがっていたオープンハートのネックレス。一緒に買い物に行ったときに、いつもショーウィンドウ越しにじっと見ていたもの。中学生の僕にとってはとても高価なものだったけど、彼女に喜んで欲しくて頑張ってお金を貯めた。もちろん彼女には内緒で。
呆然とそのネックレスを見ている彼女の首にそれを掛けてあげる。
掛け終わった途端に彼女が抱きついてきた。嬉しくて泣いてるみたい。
そんなに喜んでくれるなら、頑張った甲斐があるってものだよね。
でも、その、・・・アスカの胸が当たってちょっと恥ずかしかったかな。たぶん僕の顔は真っ赤だったと思う。
それから彼女は、毎日のようにそのネックレスをしてくれるようになった。たまに首元のハートの部分を手に取ってはにこにこと笑っていた。
彼女の嬉しそうな顔を見ると僕も嬉しかった。その笑顔が見られなくなるなんてその時は考えたことも無かった。
−3−
彼女が口を利いてくれなくなってからもう二週間が経とうとしていた。
あれから少しして、彼女は学校にも来なくなってしまった。
何度彼女の家を尋ねても、彼女は部屋から出てこようとはしない。声すら聞かせてくれない。彼女の両親に尋ねても困ったように首を振るばかり。
僕はいまだにこの現実が信じられなかった。信じたくなかった。
彼女が自分の前から居なくなるなんて。
今まではいつも一緒なのが当たり前だった。これからもずっとずっとそうだと思っていた。それに疑いを抱いたことなんて無かった。
知らなかった。
彼女が側に居ないのがこんなに辛いなんて。
こんなに心が痛いなんて。
胸を掻きむしっても掻きむしっても痛みが収まらない。
まるで心に穴が空いたようだ。
僕の心を構成する重要なモノの一つが抜け落ちた気がする。
押さえつけても押さえつけてもそこから何かが零れてしまう。
辛い気持ちのままベッドに突っ伏していたら、急に眠気が襲ってきた。
こんな時でも眠くなるのか・・・
そんな自分の身体が憎らしくて堪らない。
遠吠えが聞こえる。
まどろんだ遠い意識の中で聞こえた遠吠えがせつなそうな声だったのは気のせいだったろうか。
「シンジィ・・・」
暗い部屋で呟く声。
「会いたいよ、シンジ・・・」
閉じられた暗黒の空間に響く嗚咽。
「なんで、なんでこんな事になっちゃったの?
アタシはただシンジの側に居たかったたけなのに・・・」
ピタリと閉じられたカーテンの隙間から漏れる月の光。
暗闇をゆっくりと侵す侵入者。
彼女は怯えるように、身を掻き抱きその侵入者から身を潜める。
それでもゆっくりと侵入者は彼女の足元へと迫っていく。
「嫌っ、イヤッ、駄目!入ってこないで!」
暗闇の中、月明かりに照らされる彼女の影が蠢く。
ざわめく空間。なにかが軋むような音が部屋を支配していく。
「駄目、ダメッ!シンジ、助けて、シンジぃ・・・・」
そしてその声は暗闇へと掻き消されていった。
−4−
部屋に響く荒い息づかい。
悪い夢に魘されていた僕は、突然何かに呼ばれたように目を覚ます。
あの懐かしい声。
ほんの二週間程声を聞いていないだけなのに、こんなに懐かしい声。あれは、アスカ。
そうだ、アスカに呼ばれたような気がしたんだ。
あれは夢だろうか。
時計を見ると、まだ2時をちょっと過ぎた頃だった。
非道い寝汗だ。どうやら制服のまま寝てしまったようで、Yシャツがぐしょぐしょになってしまっている。
家族を起こさないように、そっと風呂場へ入りYシャツを洗濯機に叩き込む。
ふと洗面所の鏡で自分の顔を見る。非道い顔だ。
のどが渇いた・・・
あれだけ汗を掻けば喉も乾くだろう。
「・・・ふうっ」
水を飲んでやっと一息付いた。
落ち着いたせいか、眠気は完全に醒めてしまった。
悪い夢から醒めたという安堵感と現実には悪い夢は続いているという失望感。
この悪い夢はいつになったら醒めるんだろう。
「アスカ・・・」
このまま寝床へ戻ってもまた悪い夢の続きを見そうだ。
頭を軽く振って着替えを済ます。
散歩でもして気分を変えないと眠れそうもない。
寝静まった家族を起こさないようにそっと家を出る。
家を出て見上げてしまうのは彼女の部屋。
相変わらず灯りは着いていない。彼女が顔を出してくれないだろうか、という願いはすぐに失望へと変わる。
僕はゆっくりと夜の街を歩き出す。
街灯だけがその存在を誇示する静寂な世界。
白い息を吐きながらその世界の中を重い足取りで進んでいく。
気が付くと自然に足が進むのはいつも彼女と行く高台の公園。
彼女はここから見る夕焼けが大のお気に入りだ。
何度も何度も飽きることなく、彼女はここから夕日を見ていた。
彼女は夕焼けを見ていたけれど、僕はいつも夕日に照らされる彼女の横顔をこっそり見ていた。きっと彼女は気付いていないだろうな。
彼女の事ばかり考えながら歩いていたら、いつの間にか公園に着いてしまった。僕の視界に入るのは寒さで白くなった自分の息。
ふと何かが聞こえてくる。なんだろう?何かの啼き声。
犬だ。犬が啼いている。哀しそうな声で。
まるで僕の心を映したような声。
僕は惹き付けられるようにその声の主を捜す。
高台の上にある彼女のお気に入りの赤いベンチ。そこにその声の主は佇んでいた。
燃えるような赤い毛並み。それは月明かりに照らされてキラキラと透き通るような光沢を放っている。
そしてその潤んだ青い瞳は何故か彼女を連想させる。
厳としたその佇まい。普通の犬には見えないがハスキー犬か何かだろうか。大きめだがまだ子犬のようだ。
その雰囲気がまるで彼女がそこに座って居るかのようで僕は少し可笑しくなった。
そのまま声の主の元へと近づいていく。
僕がその側までくると、気配を感じたのか啼きやんだ子犬はこちらへゆっくりと視線を向けた。
のぞき込むような青い瞳。本当に彼女の瞳を見るようだ。
目を丸くして呆然と僕を見ていた子犬は、突然弾かれるようにベンチから降り僕と距離を取る。
そして僕のほうをチラリチラリと見ながら、まるで逃げるように離れていこうとする。
「アスカ!」
その哀しそうな目が、まるでアスカの瞳を見るようで思わず彼女の名を叫んでしまった。
その声に動きを止めた子犬。じっと僕を伺うように見ている。
その姿に僕はもう一度声を掛ける。
「おいで、一緒に月を見よう。」
そう声を掛けて僕はベンチへ座る。いつも彼女が座る隣の場所を一人分空けて。
子犬は逡巡しながらもゆっくりとベンチのその場所へ座った。
ぼくらは月を見ていた。ベンチへ並んで月を見ていた。
月を見てわき上がるのは彼女への郷愁と訳の分からない感情。
この感情をなんと呼べば良いのか解らない。
ただ・・・今は会いたい。彼女に会いたい。
「アスカ・・・」
そんな僕の姿に同情してくれたのか、子犬が僕の顔を舐めてくる。
くすぐったくて、暖かくて、思わず僕はその子犬を抱きしめる。
「アスカ、アスカ、アスカ、アスカ、会いたいよアスカ・・・」
胸の中でじっと僕を見上げる子犬。その瞳に僕の心は締め上げられる。
「ごめんね。君にこんな事言っても仕方ないのにね・・・」
僕は嘆息して苦笑すると、解放して子犬を見る。
じっと僕を見続けているその瞳。まるで僕への慈愛とせつなさが溢れているようだ。それは寂しい僕の心が生んだ幻想だろうか。
「あれ?」
子犬を見ていた僕の目にふと見慣れた物が映る。
それは月明かりに照らされて銀色に輝いている。
「これ、僕がアスカにプレゼントした・・・」
その首に下げられていたモノ。最初は珍しい銀細工の首輪かと思っていたが、僕がそれを見間違えるはずがない。
何度も何度も彼女と一緒に見たモノ。
僕が彼女に贈ったネックレス・・・
その言葉を聞いた子犬は弾かれるように僕から離れる。
そして、一度だけ寂しそうに僕を見ると走り去っていってしまった。
「あっ。」
もう一度確認しようと思っていた僕は呆然とそれを見送る。
しかし、確認するまでもない。あのネックレスはいわゆる一点物。あの店のオーナー手作りの銀細工だ。同じ物が売っている筈がない。
「なんで・・・あの子犬の首にあのネックレスが・・・」
声に出しても疑問が晴れる訳でもないがつい声に出してしまう。
まさかアスカがあれを捨ててしまった?イヤ、そんな筈は無い。
僕はすぐにそんな嫌な考えをうち消す。彼女があんなに欲しがっていた、あんなに喜んでいたものを手放す訳がない。
ふと、妙な考えを思いつく。
まさか、あの子犬がアスカなのでは・・・
「そんな馬鹿な事・・・」
馬鹿馬鹿しい。そんな事ある訳がない。
自分のそんな笑ってしまうような考えに苦笑してしまう。
しかし、あの哀しそうな青い瞳。
僕はそんな自分の馬鹿馬鹿しい考えを捨てきる事が出来ないでいた。
「アスカ・・・」
その時僕は気付いてはいなかった。僕と子犬を見つめている四つの黒い影があった事に・・・
−5−
「・・・本当に良いのか?」
折り重なるほどに濃くなっていく木々の闇。そこから浸み出すように現れる影。
そして、それに答える声が一つ。
「ああ、問題無い。」
最初の影は気遣うように、自分へ答えた声ともう一人──それに寄り添うように立っている者へと声を掛ける。
「すまんな、二人とも。巻き込んでしまったな・・・」
「良いんですよ、あの娘のためですもの。・・・それに、きっと私たちの息子も、シンジも賛成してくれますわ。」
その声に最初の影の背後に居た声が答えた。
「ありがとう・・・・ユイ。」
ユイ──そう呼ばれた女性はにっこりと微笑み、その声に答える。
「あの娘は私たちの娘も同然ですもの。それに、きっと将来私たちの娘にもなる子よ。今はただ、あの二人の未来を願いましょう、キョウコ。」
キョウコ──そう呼ばれた妙齢の女性はその声にユイを抱きしめる事で答える。
そしてそれを穏やかな目で見つめていた最初の影──銀髪の紳士が決意を込めた声を上げる。
「では、行くとするか。」
僕は自分の頭に浮かんだくだらない考えにぼんやりと頭を支配されながら、ベンチに座って月を眺め続けていた。
頭をよぎるのは彼女と先ほどの子犬の事ばかり。
彼女の事はともかくとして、何故あの子犬の事がこんなに気に掛かるんだろう?
それが何か重要なことのような気がして、どうしても頭から離れなかった。
考え事をしていたせいか全く周囲に気を払っていなかった僕に、突然背後から声が掛かった。
僕は心臓が飛び出そうな程驚いて後ろを振り向いた。
こんな時間──今は深夜3時くらいだろうか──にこんな人気の無いところで突然声を掛けられれば誰でも驚くだろう。
勢い身を引きながら後ろを振り向くと、長身で銀髪の男性とその脇に立つ女性の姿。月明かりに照らされたその男性の銀色の髪がきらきらと光沢を放っている。ゆっくりと視線を下に降ろすと、そこには僕の見知った顔があった。
「・・・おじさん?」
彼は僕にとっても慣れ親しんだアスカのお父さん。という事は隣に居るのはお母さんのキョウコさんだろう。
見慣れた二人の姿に安堵感を覚えながら、何故この二人がこんな時間に此処にいるのだろう?という疑問が湧き出てくる。
「あの、・・・何でこんな所に?」
しかし二人はその疑問には答えずに神妙な面もちで僕を見つめている。
そして口を開いた。
「シンジ君、娘に、アスカに会いたいかね?」
突然現れ、突然言われたその言葉に僕の心が跳ね回る。
そしてなんとか自分を落ち着けて声を絞り出した。
「・・・何か、知ってるんですか?」
「ああ、知っている。アスカが君の側から居なくなった理由。離れなければならなかった理由を。」
聞きたい。教えて欲しい。何故彼女に会えないのか。
「・・・しかし、それを聞けば君はもう後戻りはできんよ?」
一体どうなっているんだ?何が起こってしまったんだろうか。
良くは解らないが、これを聞かなければ二度と彼女に会えないかもしれない、と僕は心のどこかで思い始めていた。
「どういう、事なんですか?」
しかし彼はそれには答えずに、真剣な表情で僕を見つめてくる。
彼女と同じ青い瞳。それに吸い込まれるように僕もそれを毅然と見返した。
「まずは君に聞いておきたい。君は私たちの娘を、アスカをどう思っているのかね?」
なぜ突然こんな事を聞いてくるのかよく解らないが、とても重要な事だという事だけは解る。
そして僕は彼女の姿を心に思い浮かべる。
いつも元気に笑っているアスカ。怒りっぽくていつも僕をいじめるアスカ。でも本当は繊細で誰よりも寂しがり屋なアスカ。僕の中にいる全てのアスカを見つめて僕は答えた。
「アスカは・・・いつも側にいてくれて、それが当たり前で、居なくなって寂しくて、会いたくて会いたくて仕方がなくて・・・
うまく言えないけど、側に居て欲しい。ずっと側に居て欲しい。ずっと側に居たいんです。アスカの側に。」
「・・・どんな事があっても、かい?」
コクリと真剣な目で頷く。
「・・・そうか。ありがとう、シンジ君。
君は私たちの娘を大切に思ってくれているんだね。」
彼はふっと微笑み言葉を続ける。
「ならば、君を信じて全てを話そう。君が娘を救ってくれると信じている。」
そしてそれから聞かされた話はにわかには信じ難いものだった。
惣流家は人狼一族の末裔。遠くペンシルバニアの山中に住んでいた人狼──つまりは狼男の子孫らしい。
人狼とは言っても普段は人間と何も変わらない。何世代にも渡って人間と交配をしたせいか、既にその血は限りなく薄まっているらしい。
ただし魔力が高まる月の出る晩。特に満月の晩に月の光を浴びるとその姿が顕在化することがある。
一族にもその血の濃いものと薄い物が居て、15歳の誕生日までに変化が現れなければ死ぬまで普通の人間とは変わらないそうだ。
彼女──アスカはついこの間の14歳の誕生日までは何も現れていなかった。両親もほっとしていたのだが、その次の満月の晩、10日の夜に恐れていた事が起こってしまった。彼女の血が目覚め、活動を始めてしまった。
自分の正体に傷ついてしまったアスカ。彼女は自分が人間ではなかった事に怯え、苦しんでいた。野獣のような自分の姿に、いつか大切な人間を手に掛けてしまうのではないかと思い悩んだ。
しかも更にやっかいな事に、その魔力は半端なものでは無かった。何世代かに一度、先祖帰りとも言える程の魔力を持った子供が産まれてしまうことがある。それが、アスカだった。
満月の晩にその血が顕在化するとは言え、普通ある程度はその力をコントロール出来るのだという。しかし彼女の魔力は強すぎて、まだ幼い彼女にはコントロールしきれない程のものだった。
このままではいつか魔力を抑えきれずに暴走してしまう。そのような者は人間界では暮らす事は出来ない。遠くペンシルバニアの山中、深い山の中の結界の中へその血とともに帰らなければならなくなる。そして恐らく、二度とは帰って来られない。
アスカをここに残す手段は一つ。契約を結んだ人間の身体を触媒として魔力を体内に封印するしかない。
うまくいけば、魔力を何世代かに渡って封印することが出来る。
そして一番魔力が弱まるのが新月の夜、明日23日の晩が最初で最後の好機。それに失敗したら結界から迎えが来てしまう。
人が聞いたら一笑に付してしまうような話だったが、自分でも驚いた事に僕はその話を自然と受け入れていた。
そしてふと思い当たる。さっきの青い瞳の・・・
「まさか、さっきの子犬は・・・・アスカ?」
「そうだ。正確には狼だがね。アスカはまだ成長しきっていないので人型では無いのだよ。あれは、人狼の幼生だ。」
そうか、だからあの子を見て彼女が思い浮かんだのか。それにあのネックレス。彼女はあんな時でもあのネックレスをしてくれていたんだ。
その時ぼくの心はもう決まっていた。彼女に会えるなら、彼女の側にずっと居られる為ならどんな事でもしよう。
そして、僕は決意を言葉に乗せる。
「それで、僕は何をすれば良いんです?」
−6−
「ねえ、アスカ。聞こえる?ドアを開けてよ。」
ここは彼女の部屋の前。見慣れたいつものドアの筈なのに、今は何よりも高く絶対に崩れそうもないジェリコの壁となって僕に立ちふさがっていた。
「アスカ。僕、おじさんに全部聞いたんだ。」
部屋の中からハッと息を飲む音が聞こえる。
そして久しぶりに聞いた彼女の声は拒絶の言葉。
「帰りなさいよ!・・・・・・・同情なんてまっぴらだわ!」
しかし、そんな拒絶の言葉でも僕にとっては嬉しかった。久しぶりに聞く彼女の声。少し泣きそうになっている自分に驚いた。
何とか自分を落ち着けて、彼女へ僕の決意を伝えようと声を上げる。
「アスカ、僕と契約を結んでよ。」
一瞬の間が流れる。
「な、何言ってんのよ。アンタ馬鹿?
・・・・アンタ契約ってモノがどういうものか解ってるの?」
「解ってる。それも全部おじさんに聞いてきた。」
彼女の魔力を封印する為には人間の契約者が必要だ。
契約者───かつて人間の間では生け贄と呼ばれていた者。しかし、本来は人狼達のパートナーとしての契約。それは従者であり、魔力を使う触媒ともなる。そして、人狼が生き続ける限り一生のパートナーとして離れる事は出来ない。
しかし、触媒として魔力を通された人間の身体には地獄のような激痛が襲う。ましてや今回のは封印の儀式だ。魔力の全てが契約者の身体を通る事になる。アスカの魔力を考えると死んでしまうことも考えられる。
流れる静寂。
そして次に流れるのは僕に突き刺さるような拒絶の言葉。
「嫌よ。なんでアンタなんかと契約しなきゃならないのよ!」
あまりの拒絶に少し折れそうになる心を何とか持ちこたえる。それを支えるのは彼女への気持ち。彼女と離れたくないという僕の気持ち。
「アスカ、僕を嫌ってくれても構わないよ。
でも、僕は何があっても君と一緒にいたいんだ。絶対に離れたくない。
君が嫌がったって無理矢理にでも契約させてもらうよ!」
そう言ってドアを力一杯押し開ける。一体僕の何処にこんな荒々しい感情が眠っていたんだろう。自分で自分に驚きながらも、なんとなく自分の気持ちに納得もしていた。
「・・・・何で来るのよぉ。来ないでって言ったじゃない!」
その言葉とは裏腹になきじゃくっている彼女の姿に心が締め付けられる。
彼女は一人でこんなに悩んで、苦しんでいたんだ。
僕はドアの前ににうずくまる彼女に近づいていく。
見上げる彼女の顔にはきらきらと光る涙の流線。僕は自分の手でその跡をぬぐい取る。
「・・・ただ、アスカに会いたかったんだ。」
「シンジ、シンジ、シンジ、シンジ、シンジィ・・・・」
瞬間弾かれるようにアスカが僕に抱きついてくる。
じわりと濡れていく僕の胸。彼女のそのぬくもりが心地よい。
彼女はゆっくりと顔を上げる。そしてその目は何かに恐怖しているかのように怯えていた。
「アンタ、怖くないの?アタシは、化け物なのに・・・」
そうか。彼女は拒絶されることを恐れていたのか。だから僕の前から姿を消したんだ。
僕が、アスカにそんなことをするなんて絶対にあるわけないのに。
「怖くなんか無いよ。それに、アスカは化け物なんかじゃない!」
「・・・子供の頃から僕はずっとアスカを見てきたんだ。
アスカは明るくて、怒りっぽくて、ホントは優しくて、寂しがり屋な普通の女の子。僕の、誰よりも一番大切な女の子だよ。
僕、やっと気付いたんだ。アスカが急に僕の側から居なくなって。
アスカが側に居るのが当たり前だと思ってた。ずっと側に居てくれると思ってた。でもそうじゃなかったんだ。アスカに僕の側に居て欲しいんだ。ずっとアスカの側に居たいんだ!」
彼女は涙で濡れた頬をうっすらと染めて僕を見つめている。
「シンジ・・・それ、プロポーズ?」
「え?いや、あの、その。」
僕がしどろもどろになっていると彼女がそれを見て笑い出す。
そして僕もつられて一緒に吹き出す。
それは久しぶりに見る彼女の笑顔。ずっと取り戻したかった彼女の笑顔。
「ありがと、シンジ。アタシもアンタの側に居たい・・・」
「アスカ。」
僕は嬉しくて嬉しくて、力一杯彼女を抱きしめた。
会いたくてたまらなかった彼女が僕の腕の中にいる。
絶対に二度とこの手を離したく無い。
「でも、良いの?この儀式では契約者が死んでしまうこともあるのよ?」
僕はコクリとうなずく。
それを見た彼女の顔が歪む。
「でも、アタシはそんなの嫌!シンジが死んじゃうなんてイヤ!」
「大丈夫だよ、僕は死なない。だってアスカの側に居たいって言っただろ?死んじゃったら側に居れないじゃないか。」
「シンジ、約束よ。」
「うん、約束。」
小指を絡ませる僕たち。この約束は絶対に破ってはいけない約束。
それは、僕の一生の中で一番大切な約束だった。
−7−
僕は薄布一枚を羽織ったその姿に見とれる。
その幻想的な美しさに我を忘れて頭が真っ白になる。
「・・・綺麗だよ、アスカ。」
「・・・馬鹿。」
僕が思わず口に出してしまった言葉に、彼女は恥ずかしそうに俯く。
「・・・アンタも、脱いでよ。」
──今回の儀式では僕の全身にアスカの魔力を通す事になる。
成功率を上げるためには魔力の抵抗になってしまう遮る物の無い状態で、全身でアスカの魔力を受けとめなければならない。
・・・・つまり、裸で抱き合うと言う事だ。
彼女の声に僕は急いで服を全て脱ぎ捨てる。
「や。」
正面を見ると全身を赤く染めた彼女が顔を隠して俯いている。
彼女の身体を覆うのは薄布一枚きり。その布からうっすらと透けて見える彼女の身体がひどく艶めかしい。
ごくっ
僕は自分のいきり立った中心を隠すことも忘れて、唾を飲み込んだ。
「もう、バカシンジ!前くらい隠しなさいよ!」
そう言って、彼女が枕を投げてくる。
その枕が悪いことに僕の股間を直撃してしまった。
「ぐうっ。」
それが折れてしまうような痛みに思わずうずくまってしまう僕。
痛みは激しかったが、一瞬で収まってくる。
しばらくそのままでいると、うずくまる僕に心配そうに近寄る彼女の気配が伝わってくる。
「・・・シンジ、大丈夫?」
彼女が僕に手を掛けようとした瞬間、その手を思い切り引っ張った。
気が付くと、僕の身体の下にいる瞳を潤ませた彼女の姿。
ほんのちょっとやり返すだけのつもりだったのに、スゴイ体勢になってしまった。
「ズルイ、馬鹿シンジ!だましたわね!」
「ホントに痛かったんだよ。・・・最初はね。」
そう言って彼女を見ると、乱れた薄布から覗くはだけた彼女の白い肌。
その白い肌に誘われるように僕は手を伸ばす。
「あ、ちょっとシンジ。・・・・や、ダメ、駄目だったら。」
そんな彼女の声も既に僕にとっては興奮を高めるスパイスにしかならない。
僕は夢遊病者のように陶然と彼女の白い肌に唇を這わせる。
「ん、あ、・・・シンジ・・・」
僕の唇の向かう先は透けるような白さの丘の上にある綺麗な蕾。
そこへ到達した瞬間彼女の身体がビクンと跳ねる。
「い、イ、イィ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・加減にしろ、この馬鹿シンジ!!!」
バキッ!
彼女の容赦の無い一撃が僕の脳天を直撃する。
・・・僕は一瞬意識を失っていたらしい。
気が付くと、彼女は僕の下から抜け出して正面に立っていた。
そして得意の腰に手を当てて僕を罵倒するポーズを取っている。
「アンタねえ、今がどういう時か解ってんの?」
言われてみればその通りだ。こんな事をしてる場合では無い。僕は何をしてるんだろう?
「ゴメン。アスカ、もうしないよ。・・・・でも、アスカがあんまり可愛くて我慢できなかったんだ。ホントにゴメン。」
「もう、馬鹿。」
真っ赤な顔で僕の頭をぺしっと叩く彼女。
なんだか嬉しそうな顔をしているのは気のせいかな。
そして僕は立ち上がって彼女の顔を見つめる。
「・・・行くわよ、シンジ!」
彼女の声に二人の表情が引き締まる。ここからは命懸けの戦いだ。
ふざけてなんか居られない。
僕の大切な居場所、彼女の側に居るための戦い。絶対に負けられない。
彼女の両親が用意してくれた、儀式の為の魔法陣の中心に僕等は立っていた。
僕等の間に遮る物は何もない。暗闇の中で青白く光る彼女の身体。
これは彼女の魔力が見えているのだろうか。夢を見ているのかと思うほどの幻想的な美しさ。
しかし、これは夢ではない。これからその魔力を封じる儀式を行うのだ。
そんな緊張が身体に伝わったのか、彼女を抱きしめている腕に力がこもる。
「大丈夫、シンジ?」
「・・・うん。アスカこそ大丈夫?」
彼女の身体も緊張で震えているのが判る。
「絶対にここに二人で帰ってこようね。」
彼女の言葉に僕はうなずく。
「絶対に、二人で。」
「─── 解放。」
彼女がそれを唱えた瞬間魔法陣の中に渦巻く見えない力の渦。
これが・・・彼女の力か!
彼女を中心に何処かへバラバラに持って行かれそうな力が放射される。
僕は吹き飛ばされないように必死で彼女にしがみついた。
「─── 我はこの者を受諾する。」
彼女の全身が光を放つ。光の奔流が全てを白く照らしてゆく。
まばゆい光の中、彼女は僕の頭を抱えると触れそうな距離まで近づいた。
「・・・シンジ、愛してる。」
轟音の中で彼女何を言っているのかよく判らなかった。だけど、繋がる身体から彼女の気持ちが流れ込んでくるような気がした。
そして触れる僕等の唇。
熱い何かが彼女の口から流れ込んでくる。そしてそれが全身を駆けめぐる。炎のような何かが僕の細胞の隅々にまで織火を燃やしていくような熱さ。
しかし、これが彼女の魔力なんだと感じると不思議と怖いという感情は全く無かった。
「─── 我はこの者を約として血を使役する。
─── 封印!!!!」
瞬間、世界のすべてが沸騰する。
「うわああああああああああああああああっ!!!!!!!!」
全身を駆け回るマグマのような業火の渦。全てを燃やし尽くしても尚燃え続ける炎。
魂をバラバラに切り刻まれるような痛みに僕の存在が軋みを上げる。
死んだ方が楽になれる。そう悪魔が僕を誘惑する。それは甘い甘いエデンの実。
逆らい難いその誘惑に引きずり込まれてしまいそうな僕の耳に、何かがかすかに聞こえた。
─── シンジ
─── シンジ!
─── 行っちゃ駄目!シンジ!
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