結局、前の戦いって何だったんだろうな。
そう幾度も自分に問いかけて、だが答えは出ていない。
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弦を弾くと、響く音色。調律して、試しに奏でてみる。
久しぶりに手にしたが、腕はそれほど鈍っていないようだ。安心して、ギターをケースにしまいこむ。
ベッドに倒れこみ、目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶのは、遠い昔に別れた友人達の姿。
連絡をとらなくなって、何年経つだろう。今、何をしているのだろう。
……こんな風に思い出すのも、きっとギターに触れたからだろうな。
考えているうちに、彼は眠りに落ちていく。
そして夢を見る。
古き良き時代。気障な言葉で表すならば、青春を謳歌していたあの頃のことを。
「いいのかよ、シゲル」
「そうだぜ、もう一回、事務所の人間に言って……」
「いや、いいんだ」
仲間の言葉は嬉しかったが、笑って青葉は首を振った。
「自分の実力ぐらい、わかってるさ。お前らだけで頑張れよ」
思いを素直に告げる。そこそこうまいとは、自分でも思っている。だが、あくまでもそこそこに過ぎない。メジャーデビューするには、何かが足りない。
そもそも、自分は友人に恵まれていたのだと思う。彼らは、他のバンドと比べてみても、その実力は頭一つ抜けているだろう。だからこそ、目をかけられ、声がかかったのだ。
自分は彼らに引っ張られて上手くなっただけだし、そして一人、足手まといのようになっていることも感じていた。
それを理解していたからこそ、デビューの条件として、ギターの自分を外すことを要求されても、冷静に受け止められたのだ。
理不尽だ、と憤ったのはむしろ友人の方。そんな彼らをなだめて、デビューを薦めたのは青葉本人だった。
苛立ちがない、と言えば嘘になっただろう。
何故、自分だけが、と。
だがここで無理を通すことで、仲間がつかんだせっかくの好機を邪魔する気にはなれなかったし、実際、彼らが活躍する様を見てみたくもあった。
「俺に遠慮することなんてないさ。お前らならやれるだろう」
それとも、俺がいないとダメだってのかよ?そう茶化そうとして、青葉は辛うじて飲み込む。それは、もう一つの本心、自分は遠くで見守っているだけでいい、という思いと同様に、口にしてはいけないことだから。
言ってしまえば、また議論するだけだ。
そうして彼は、仲間達を送り出したのだった。
若干の寂しさと、悲しさを覆い隠して。
就職口を探しながらも青葉は、時折、彼らのライブに顔を出した。
自分がいた頃の、地下にある、よくて数十人しか入れないようなライブハウスとは違う、大会場。爆発的ヒットを飛ばしたわけではないが、それでも数百人の客が、毎回、押し寄せている。
そんな中にまじって、ステージ上の彼らを見上げる。一番前の席に陣取り、手を伸ばせば触れられるような距離にいながら、遠い世界の住人になってしまったような気がした。
公演後に、楽屋を訪れた彼を、仲間はもちろん、快く受け入れてくれる。
新しく入ったギターのメンバーは、青葉よりも年下で、だが腕は彼以上。性格も良く、仲間達ともすぐに打ち解けたようだし、青葉も彼に好感を覚えた。
足が遠のいたのは、そんな彼への遠慮からだったと思う。いくら溶け込んだとは言え、そこに自分が現れては、居心地の悪い思いをするだろうから。
いっそ嫌な奴だったら良かったのに。
そんなことを考える自分もいたけれど。
仲間に頼んでいい席を取ってもらっていたのが、自費でこっそりと行くようになった。欠かさず楽屋に向かっていたのも、終わってすぐ帰るようになった。
最初は何だかんだと言い訳をしていたが、それが逆に彼らに気を遣わせているのでは、と思うようになり、やがて全く行かなくなった。
思い出したように連絡を取ることもあったけれど、それも少しずつ間が開くようになり、ここ二、三年は全く連絡を取っていない。
その間に彼らは、順調に成長していき、今では実力派バンドとして、それなりの評価を受けるようになっている。
青葉を取り巻く環境も、随分と変わった。
ギターは趣味にとどめ、ダメ元で受けたNERVに就職が決まった。その後、トントン拍子に出世し、オペレーターとして、先の戦いに参加、貢献する。
NERVが発足してまだ若い組織であり、また年齢に関係なく能力ある者を重用するということを差し引いても、彼が同じ世代の中で出世頭であることは間違いない。周囲の人間も皆若いので、忘れがちだが、給料を比べてみれば一目瞭然だ。
もっとも、常に危険と背中合わせだということを考えれば、安いものであるとも思うが。
ともかく、他にもいくつかの就職口がありながら、NERVに入った自分の判断は、間違っていなかったと確信している。
要は、バランス感覚なのだ。
青葉はそう、自己分析していた。
人生における、彼の哲学、とでも言うのだろうか。
バンドの件もそうだし、ここNERVにおいても、彼の生き方は変わらない。
青葉は、例えば同僚の日向マコトが、直接の上司の葛城ミサトが苦手とする事務の仕事に長けていたり、伊吹マヤが赤木リツコの補佐を得意とするような、一芸に秀でているわけではない。
何でもそこそこにこなせるが、一つ一つを個々に取り上げれば、一流とは言いがたい。
いわゆる、器用貧乏。
彼はそれを自覚していたし、逆に、そこに活路を見出そうとしてきた。
目立たなくてもいい。陰から支えることが出来れば。
そう思い、行動してきた。何でも着実にこなし、どんなことであれ、正確であることを自分に課した。
周囲の人間を立て、決してでしゃばらない。一歩引いた視点から全体を俯瞰し、今、必要とされることを為す。
青葉シゲルとは、そういう男だった。
空は青く、澄み渡り。うるさいセミの声が、余計に暑さを増す。
そんな、いつもと変わらない、ある日の午後。
待ち合わせの場所に向かうと、すでに少年は先に付いて待っていた。
碇シンジ。エヴァンゲリオン初号機のパイロットであり、先の大戦で、人類を救った男。
あれから二年。声変わりをして、少しだけ野太くなった声。中世的な顔立ちは相変わらずだが、背は随分と伸びていて、今は青葉と大差ない。まだ成長期ということを考えれば、抜かれるのも時間の問題だろう。
半袖のカッターシャツからのぞく腕は、細いながらも引き締まっており、秘められた力強さを感じる。
そして一番、印象的なのが、その黒い双眸。
優しさに満ちた光をたたえたその瞳は、深く、底が測れない。それは、そう、まるで夜の闇。決して不快なものではなく、見る者の心を包み込み、落ち着かせる。
そんな、漆黒。
軽く手を上げると、気付いたのだろう、近づいてきて頭を下げる。
「すいません。休みなのに、わざわざ来てもらって」
礼儀正しい少年の行動に、青葉は目を細めた。自分がこのぐらいの頃は、こんな挨拶など出来なかった。
「気にしなくていいさ。俺なんかに出来ることがあるなら、何でも言ってくれ」
言って、笑顔を見せる。実際、彼に頼まれれば、どんなことでもしてやろうと思っている。それが罪滅ぼしになるわけではないことがわかっていても。
「他のメンバーは?」
「今日は学校で用事があって、ちょっと遅れてくるんです。僕と、アスカだけが先に来たんですよ」
雑談を交わしながら、スタジオの中に入る。
「懐かしいなぁ」
思わず口を割って溢れる思い。
彼らが使っていた場所とは、もちろん違うのだが、漂う雰囲気は同じだった。
練習に明け暮れ、熱く未来を語ったあの頃。
自分が一番、自分らしくいられた場所。
思えば、随分と遠くに来たものだ、と思う。抱えるギターケースは、変わらないのだけれど。
しばし感慨にふける青葉。その思いを破ったのは、明るい少女の声だった。
「お待たせ、シンジ」
振り返らずとも、声の主はわかる。
惣流=アスカ=ラングレー。エヴァンゲリオン弐号機のパイロットにして、十三歳で大学を卒業した、エリート中のエリート。
そして、碇シンジの恋人。
「青葉さん、こんにちは。今日はどうも」
溌剌とした声に、頬がゆるむ。袖なしの黒のタートルネックシャツにジーンズ。胸元を飾っている銀色のネックレスは、シンジからの贈り物に違いない。
今年で十六歳になるのだが、そうとは思えないほど、少女のスタイルは完成されていた。出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。彼女の若々しい体の前には、テレビや雑誌に出てくるグラビアアイドルも精彩を欠いてしまうだろう。
二年前に初めて出会った時は、立ち振る舞いのとげとげしさと、眦を上げて怒鳴る、きつい印象が先に立ったものだが。
自己主張が過剰。そういう女性は、青葉がもっとも苦手とするタイプ。だから、葛城ミサトや赤木リツコといった女性達の近くで働くことは、苦痛ではないにしろ、必ずしも心が休まるというわけではなかった。
そして、アスカのことも、同じように思っていた。
だが、月日か、それとも隣に立つ少年が変えたのかは知らないが、今の彼女は穏やかな微笑がよく似合う。もちろん、持って生まれた気質なのだろう、時折攻撃的な姿勢が顔を出すことは、NERVでの訓練中に何度も見ているが、それも以前に比べればましになった方だ。
「わざわざ着替える必要もなかったんじゃないの?」
高校の制服のままのシンジが、少し呆れたように言うと、
「いいのよ。こうやって、気分を盛り上げるんだから」
そう答えて取り合わないアスカ。見ると、手元に置いた紙袋から、きれいにたたまれた制服がのぞいている。おそらく、トイレで着替えてきたのだろう。
ちらちらとシンジを見る視線に、わずかにはじらいのようなものが混じっている。
ああ。きっと、シンジ君にどう見えているか、気にしてるんだな。
何となく、彼女のそんな姿が微笑ましくて、青葉は心の中で、少し、笑った。
「それで?どういうメンバーになるんだい?」
椅子に座って、青葉は本題に入る。
彼が今日、シンジ達に呼ばれたのは、高校の文化祭のことでだった。
どういういきさつがあったのかは知らないが、友人達とバンドを組むことになったシンジ達が、青葉がギターを趣味としていることを聞き付け、練習を見て欲しい、と頼んできたのだ。
最初は驚いたが、もちろん快諾し、ギターを引っ張り出してきた。
「クラスメイト達です。トウジとケンスケは、ご存知ですよね」
「ああ、もちろん」
うなずく青葉。二人と最初に出会ったのは、第四使徒戦の後。シェルターから抜け出したことで、NERVの職員と教師にこってりとしぼられているところを目にした。
その後、トウジはフォースチルドレンに選出され、エヴァンゲリオン参号機のパイロットとなる。
しかし、参号機は侵食されており、NERVによって使徒と認定される。
仲間であるはずのエヴァと戦うシンジの叫びは、聞いていて辛いものがあったと、青葉は振り返る。
その戦いでトウジは、右足を失ったが、赤木リツコ達技術部の尽力により、足は再生され、今では全く異常はないらしい。
『こんなことで許してもらおうなんて、虫が良すぎるけれどね』
リツコがそう言っていたことを、青葉はマヤから聞いていた。
シンジも気にかけていたのだろう。彼が歩けるようになるリハビリ中、毎日のように付き添い、助けようと尽力していたことを、青葉は知っている。
「それと、トウジの恋人で、洞木さんっていう女の子です」
「……ああ、入院中に毎日のように見舞いに来ていたって女の子のことかい?」
「そうですよ」
直接会ったわけではないが、彼女の存在は噂に聞いていた。
赤木リツコに平手打ちをくらわせた少女として。
リツコが毎日訪れる彼女に初めて会った時。最初は、トウジの足を治してくれたことに感謝していたのだが、リツコが、彼が右足を失った責任は自分にもあると謝罪すると、泣きながら思いっきり張り飛ばしたそうだ。
もっともその後、わだかまりも消えたようで、仕事の都合でなかなか見舞いに来れない彼の親の代わりに、彼と彼の妹の様態をリツコから聞く姿が珍しくないものになった、と聞いている。
気の強い者同士、気があったのかもな。直接会ったことがないので、青葉はそんな風に想像している。
「後は、僕達四人です」
「四人……?レイちゃんも入ってるのかい?」
青葉は少し驚いて聞き返す。シンジが、自分達四人と言えば、今もNERVに籍を置いているチルドレンしかないのだが。
「そうなんですよ。誘ったのはアタシなんですけれど、やりたいって言ったんですよ、レイ」
嬉しそうだな、とアスカを見て思う。
「へぇ、レイちゃんが、ね……」
顎を軽く撫でながら、彼は一人、呟いた。
綾波レイ。
彼女のことを、青葉は、詳しく知っているわけではない。
一番知っているのは、おそらく、碇ゲンドウか、赤木リツコだろうが、二人が自分から、彼女のことを口にするのを聞いたことはないし、これからもないだろう。
その次は、伊吹マヤか少年達だろうが、あえて聞くことは憚られた。あの幻想的な美貌の少女に、好意を寄せている、と考えられることは避けたかった。
好意。彼が少女に感じるのは、似て異なるものだった。
あえて言葉にするならば、共感、か。
キーワードは、現実との乖離。
彼から見て、綾波レイという少女の心は、常に、ここではないどこかにあるように思えた。
夢想的とか、現実に絶望したとか言うのではなく、自分すらも客観的に見つめているような。
彼女にとって現実とは、舞台のようなものでしかなく、自分すらも一人の登場人物に過ぎないのではないか。流れに任せ、生きているけれど、その実感を覚えていないのでは。
自分のように。
青葉にとって、これまでの人生は、ただ流されるままに生きてきただけだった。もちろん、自分の意思、というものはある。決断を下したことも。
だがそれが、本当に自分だけで下した判断か、自信が持てない。
NERVにいることがいい例だ。どうしてNERVに入ろうと思ったのか、今となっては思い出せない。
いや、そもそも理由があったのだろうか。大学の教授か、親か、友人に薦められて入っただけなのかもしれない。
人生の傍観者。
自嘲交じりに、自分をそう定義することがある。どんな物事を見ても、聞いても、体験しても、それを実感として認識し難い性格なのだ。
前の戦いの意義を、見出せずにいることも、それがためかもしれない。
少年達を戦わせたことへ、負い目を感じてはいる。
だが深いところで、自分の想いが、日向やマヤ達と異質なものであることに、気付かないではいられなかった。
人類の命運をかけた戦いであり、仕方がないことだったとは言え、子供達を追い詰めたことへの後悔。それが、日向やマヤが、彼らに思うことだろう。
青葉は、違った。
NERVが、いや、自分達が……自分が、全人類の命を背負っている、という感覚を、最後まで持てなかった。シンジ達が戦うのを見て、心苦しく思っていたし、割り切れない感情を抱いてはいた。
だが、彼らが負ければ自分達が死ぬとわかっていても、それはそれでいい、そんな風に思ってもいたのだ。
彼がNERVで、先の戦いに尽力したのは、誰かのためではなく。
ただ、それが仕事だったから、ということに過ぎない。
自分がチルドレン達に抱く想いは、マヤ達のような、心で感じたものではなく。
理性から導き出されたものだと、青葉は思っている。
そんな自分が、罪深いように思えて、悩んでもいるのだけれど。
だからこそ、綾波レイに共感を覚えつつも、危惧していた。彼女はまだ幼く、自分のようになることはない、と。
それはどこか、喫煙者が子供に、タバコを吸うな、と言っているようなものだが。
レイが自ら、こういった活動に参加する意思を見せたのは、大きな変化だ。それがわかっていたからこそ、アスカは嬉しそうなのだろう。
この一歩は小さな一歩だが、少女はこれから、どんどんと変わっていくに違いない。
何よりも、彼女の周りには、彼女のことを見守るたくさんの暖かな目があるのだから。
「青葉さん?どうかしたんですか?」
「ん?あ、ああ。何でもないよ」
シンジの声に、自らの深い思いから解き放たれる青葉。
「それで、誰がどの楽器を演奏するんだい?」
不思議そうに自分を見つめる二人に慌てて、彼は話題をそらそうとした。
「僕とトウジがギターで、カヲル君がベース、ケンスケがドラム、洞木さんがキーボードで、アスカと綾波がボーカルです」
そう言ってシンジは、側に置いてあったギターを指差した。誰かから借りたのだろう。
青葉はそれを手にとって、値踏みする。高い物ではないが、手入れは行き届いている。初心者向きではあるだろう。
「いいなぁ、シンジはギターで。アタシも弾いてみたいわ」
青葉からギターを渡されたシンジを見て、アスカが羨ましそうに言った。
「ボーカルやりたい、って言ったのは、アスカだろう?」
「そうだけどさ……」
頬をふくらませて、そっぽを向くアスカが、妙に幼く見えて、青葉は思わず声を上げて笑ってしまう。
「あー、青葉さんまで笑ってー」
「いや、ごめんごめん。でも、確かにアスカちゃんがギターを弾くってのは、似合ってるかもしれないな」
謝りがてら、半分冗談のように言ったものの、想像してみると、意外に様になっている。
「でしょ?ほらほら、シンジ、聞いた?やっぱりアタシって、そんな風に見えるのね〜」
「青葉さん、止めてくださいよ、おだてるのは」
ニコニコと笑ってアスカはシンジの制服の裾を引っ張るが、彼は少し情けない顔をして、青葉に文句を言う。
「何よー、シンジ、アタシがギターを弾くのが、そんなに嫌なわけ?」
シンジの言葉にムッとしたのだろう、眉を上げて詰め寄るアスカ。
すぐに手が出なくなったのは、進歩だよな、と見ていた青葉は、やや場違いな感想を抱く。
「そ、そんなことないよ。ただ、今回は、もう曲とかパートとか、色々決まってきてるし、時間もないから……」
後ずさりながら言うが、言葉尻がすぼんでいく。それでも、アスカの剣呑な瞳から目をそらさないのは、彼の変化の証だといえるだろう。
ふと、マヤから以前、彼がアスカとマヤをナンパしてきた男を軽くのした、という話を聞いたことを思い出す。
NERV内でも、格闘訓練をこなしているのをよく見かけるから、きっと自分よりも強くなっていることだろう。ひょっとしたら、アスカよりも。
それでも彼が、アスカに強く出られないのは、性格もあるだろうが、二人の関係が、最初からそういうものだったからなのだろう。そう青葉は考えた。
情けない、とは思わない。きっとそれだけ、彼女を大事に思っているのだから。
「む〜。まあしょうがないわね。でも、アタシにも触らせてよね?練習とか、教えてよ」
「はいはい。わかったよ」
諦めたのか、肩をすくめて溜息を付くシンジとは対照的に、はしゃぐアスカ。
ごちそうさま。
そんな恋人同士の語らいを、微笑をたたえて見守っていた青葉は、心の中でそう呟いた。
「なるほど、ねぇ」
青葉が今、手にしているのは、彼らが演奏する曲目の候補だ。
まだ候補の段階だからか、並んだそれに統一感はない。強いてあげるなら、基本的に盛り上がる曲か、ラブ・ソングが多いというぐらいか。
「演奏時間はどれぐらいあるんだい?」
「結構、もらえるみたいです。だから、本格的にいこうっていう話になってるんですよ」
青葉の問いに、シンジが答える。アスカは発声練習のために、すでにスタジオに入っていた。
冷たい缶コーヒーに口を付ける青葉。その頭の中ではすでに、どういったステージにするか、アイディアがいくつも生まれてきていた。
「アスカなんて、衣装変えしよう、なんて言ってますし。曲のイメージに合わせて」
「それはすごいな」
彼女なら、考えそうなことだと思う。こういうお祭り騒ぎが好きそうだし。
実際、彼も彼女達が衣装変えをするのは、いい考えだと思っていた。女性ボーカルが二人いることだし、華やかなのもいいだろう。
「……ん?」
シンジから受け取った端末に目を通していた彼は、一曲だけ名前の横に丸が付いていることに気が付く。
「シンジ君、これは?」
「ああ、それですか。その曲だけは、どうしてもやりたいって、アスカが」
シンジの言葉に軽く首をかしげて、青葉はその曲を思い出そうとする。最後に聞いたのが、もう随分と遠い昔のことだから、あいまいな記憶に頼るしかないが。
どこか切なさを感じる女性ボーカル。全体として激しさがありながら、どこか壊れそうな印象がある。
「何だかこれだけ、他の曲とイメージが違うな」
率直な感想を口にする。盛り上がれる曲ではなく、どちらかと言えば暗い曲だ。歌詞は忘れてしまったが、やはり明るいものではなかったと思う。
「アスカがすごく気に入ってるんですよ。カラオケに行ったら、必ずその曲は歌いますし」
「ふうん」
やや腑に落ちないものを感じながらも、彼はうなずく。どうも彼女が持つイメージにそぐわないのだが、アスカのことを詳しく知っているわけではない、と考えて納得する。
「なになに?何の話してんの?」
スタジオの扉から、ひょこっと顔をのぞかせるアスカ。発声練習が終わったようだ。
「ああ、どんな曲を歌うのか、ってね。それによって、構成も変わってくるし」
「はいは〜い。やっぱり楽しいステージがいいな」
そう言って楽しそうに自分の計画を語りだすアスカを見て、青葉は既視感に捉われる。
いつかの、自分達の姿に、通じるものがあった。
ライブの計画や、自分達の未来のことを考えて、仲間たちと語り合ったあの頃。
思えば、自分が生きているという実感があったのは、あの若い日々だけだったのではないだろうか。激しく熱い感情を体中にみなぎらせて、溢れる想いを音に乗せて放っていた。
あんな時代もあった、等というほど、老け込んだつもりはないけれど。
それでも、彼らの姿は、今の青葉にはまぶしく見えて、うらやましいと思わざるをえなかった。
「青葉さんも、見に来て下さいね」
アスカと話していたシンジが、話を振ってきて、青葉は笑って頷く。
「そうそう。マヤも連れてきたらいいじゃない」
「マ、マヤちゃんをかい?」
「聞いてますよ〜最近、仲良いみたいじゃないですか?」
ニヤリと笑うアスカ。このこの、と言いながら、肘で彼の脇腹を突いてくる。
「な、何のことだか……」
「隠さなくてもいいじゃないですか。もう皆、知ってますよ」
「シ、シンジ君まで」
仲が良いのは確かだし、出来ればその仲をもう一歩、進めたいと考えているのも確かなのだが、面と向かって言われると、どう返して良いかわからない。
ほぼ一回り、年下の彼らにやりこめられている自分の姿は、さぞ情けないことだろうと、青葉は思った。
それから、一ヶ月近く。
青葉は暇を見つけては、彼らの練習に付き合った。シンジが元々チェロを趣味としていることは知っていたが、残りのメンバーも意外に、音楽的素養を持っていることが判明し、青葉を驚かせた。
歌が好き、と公言するだけあって、カヲルは元々楽器に興味があったようで、ベースも私物を持ってきた。腕前も、なかなかのものだ。
またヒカリも、小学校時代にお稽古事でピアノを習っており、メンバーの中で一番、手がかからなかった。余談だが、実際に会ってみると、彼女は決して気が強いわけではなかった。芯の強さは感じたけれど。
残り二人、トウジとケンスケは、楽器と縁がなさそうだったので心配していたのだが、元々それなりに興味を持っていたらしく、すんなりと入り込めたようだ。
ケンスケは飲み込みが早く、また器用なところを見せ付けた。トウジは逆に飲み込みが良くなかったが、人一倍練習することで、他のメンバーに追いついて見せた。
そしてボーカルの二人、アスカとレイは。
それぞれの声の特徴を活かした曲を選んで、歌い込んでいた。
レイは地声が小さく、張り上げてもそれほど大きな声が出せないのだが、声質が特徴的なのか、遠くまでよく通った。
アスカは逆に、地で大きく、歌う段になるとより大きくなる。だから、楽器に力負けしない。音域も広く、有り体にいえば上手い。
二人の声や歌い方は、絶妙のコントラストを醸し出し、青葉はひそかに舌を巻いていた。彼女達のユニゾンがこれほどのものになるとは、思っていなかったのだ。
加えて、過去にかなり険悪な関係であったとは考えられないほど、二人は仲良く練習している。
最初はアスカに歌い方などを直されてばかりで、しかし不満一つ言わずに彼女の話を聞いていたばかりだったレイも、段々と自己主張を始め、時にはアスカの歌を聞いて、それに意見を述べることもある。
真剣に彼女の言葉を聞くアスカの姿からは、初めて会った頃のとげとげしさはまるでない。
全員で合わせている時に、男連中が失敗すると、例えシンジと言えども、容赦せず責め立てるし、それが原因で言い合いになることもあるが、そういった態度も、より良いものを作りたい一心故だということを全員がわかっているから、尾を引かない。
逆に青葉など、初めて楽器に触れた人間もいるのだから、こんなものだろうと思っても、アスカは更に高いレベルに上がろうとする。彼が、傷つけてしまうのではないかと、言うべきかどうか迷うようなことまで、どんどん指摘していくのは、育った文化の差もあるだろうが、アスカがどれだけ、本腰を入れてこれに取り組んでいるかを、端的に示すものだった。
自然と、このバンドのリーダーはアスカに決まり、その責任感もあってか、より一層、彼らを引っ張っていこうとする彼女。
一日の練習が終わる頃には、全員、疲れ果ててぐったりとしており、時にはアスカへの文句が飛び出すこともあるが、その顔は充実感に溢れており、流れる汗は美しかった。
「バンドって、楽しいんですね」
「だろ?」
ある時、練習後にふと、シンジがもらした言葉が、青葉は我がことのように嬉しく思えたのだった。
「この分だと、結構、良いものが出来そうだよ」
「へえ。私も聞きに行きたいですね」
文化祭も間近に迫った、ある平日の昼休み。日向は出張でおらず、青葉は食堂でマヤと二人、向かいあって座っていた。
「うん。マヤちゃんも是非、聞きに行った方がいいよ」
少し上ずった声になる青葉の脳裏を、アスカの言葉がよぎる。
『マヤも連れてきたらいいじゃない』
別に、彼女に言われたから、というわけではない。元より、この話をシンジに聞いた時から、誘おうと考えていたのだ。
今までも、たまに仕事が同じ時間に終われば、食事に一緒に行ったりしている。だが、それはあくまでも同僚として付き合ってくれているだけではないだろうか、との疑念を捨てきれずにいる。
この文化祭は、休日を一緒に過ごす良い理由となるし、それだけで関係を一歩進められるとは思わないが……
甘い期待を抱いても、良いではないか?
「そ、それじゃさ、マヤちゃん……」
いかにも何気なく、という感じを装って誘おうとする青葉だったが、
「青葉さん、一緒に行ってくれませんか?一人で行くのも、恥ずかしいですし」
にこやかな笑顔で機先を制され、言葉を失う。
「も、もちろんいいさ」
それでもかろうじて、笑顔を返す青葉。
「良かった。じゃ、私、そろそろ仕事に戻りますね」
言って席を立つマヤの後ろ姿に、彼は声をかけそびれた。
午後、彼女の発言の意図が、好意の表れなのか、それとも自分が単に付き添いと思われているのかで悩んだ青葉は、仕事が手に付かず、珍しく単純なミスを連発してしまい、冬月の小言を聞く羽目になってしまったのだった。
♪Now Move in, Move out
Hands up, Hands down
(Back up, Back up)
Tell me what you gonna do now
Keep rollin’, rollin’, rollin’ ….♪
「すごい音量ですね」
隣のマヤの大声も、かろうじて聞こえるほどでしかない。
文化祭当日。
高校生達に混じって、青葉とマヤは、ライブ会場である小体育館に来ていた。
どういうつてがあったのか、音響装置にかなり本格的な良いものを使っている。大音量に体が吹き飛ばされそうな感覚は懐かしいが、ライブに来るのは初めてだというマヤが気がかりで、何度も青葉は彼女の横顔を盗み見ていた。
「どうかしました?」
視線に気付いたのか、愛くるしいくりくりとした瞳で見上げてくるマヤに、青葉は頬が一気に熱くなるのを感じる。
「い、いや。熱いな、と思って」
慌てて言い訳をする青葉。といっても彼は今日、タンクトップの上に薄手のシャツを羽織っただけなのだが。
「そうですね」
マヤも休日なので、当然、私服だ。胸元にレースの飾りの付いた青いキャミソールの上から、白のカーディガンを羽織っている。動きやすいようにだろう、下はカーキ色のパンツにパンプス。
珍しく薄い桃色の口紅を引いているのは、これがデートだと思ってくれているからなのかどうか、青葉は判断に迷っていた。
ちなみに、文化祭ということで、学校は開放されている。休日ということで、私服姿の他校生の姿も珍しくない。
そのせいか、学校の敷地内に入ってから何度も、マヤは客引きに女子高生と間違われている。
「みんな、高校生なのに、お世辞がうまいんですね」
言って笑うマヤに、彼は引きつった笑みを返すことしか出来なかった。
四組ほどが演奏したところで、一端、休憩が入ったので、二人は一度外に出て、新鮮な空気を吸う。近くの教室で喫茶店をやっていたので、とりあえずそこに入って、軽く時間をつぶすことにする。
「シンジ君達、もうすぐ出番ですね」
マヤの声は、どことなく不安そうだ。
ここに来る前に、二人はシンジ達の様子を見に行った。マヤを連れていることで、からかわれるかと心配したが、彼らにそんな余裕はなさそうだった。
「おいおい、大丈夫か?」
深刻な空気を感じ取った青葉は、わざと陽気な声を上げるが、反応は芳しくない。シンジなど、顔面蒼白になっている。他のメンバーも、シンジほどではないが、似たようなものだ。その中には、アスカも含まれていて。
意外に平気そうなのが、レイとカヲルだった。皆が落ち着かないように楽器をいじったり、声を出したりしている中、レイは紙コップの紅茶をすすり、カヲルは天井を見上げて、鼻歌を歌っている。
もっともそれも、装っているだけなのかもしれないが。
平静を。
「ライブって、こんなに緊張するんですね」
ぽつりとシンジが呟いた言葉に、青葉は苦笑する。
「そうだな。俺もそうだったよ」
顔を上げるシンジ達。視線が集るのを感じながら、彼は近くのパイプ椅子に腰を下ろす。
「俺達の初ライブは、ここより狭いライブハウスでやったんだけどな」
わざとのんびりした口調で、語り出す。
「皆、どうしようもなく緊張しててな。楽器を持つ手も震えてた。んで、ステージに上がった途端、皆がこっちを診てるだろ?頭の中が真っ白になっちまってな。正直、パニックに陥りそうだったよ」
思い出しながら話す青葉の声は深く、人を惹き付ける。いつの間にか、少年達、少女達は全員、彼の話に聞き入り始めていた。カヲルすらも、ハミングをやめて、じっと彼を見つめている。
「けど、いざ始めてみると、自然と体が動くんだ。練習したことを体が覚えてたんだろうな。初めてだってことで、死ぬほどやったし。そうやってるうちに、だんだん冷静になってきた」
懐かしそうな表情を浮かべる青葉。マヤもまた、何も言わず、彼の言葉に耳を傾けていた。
「で、何とか最初の曲を終えて、二曲目に入ったわけだけど、何ていうか、油断したんだろうな。ピックを落としちまった」
目を伏せる青葉。
シンジとトウジの顔が、微妙に歪んだ。
「焦ったな、あん時は。顔から血の気が引く音が聞こえたような気がしたよ」
ゴクリ。誰かがつばを飲み込む音が聞こえる。
彼らを緊張させるようなことを言ってどうするのかと、いぶかしむマヤの視線を感じながら、彼は続ける。
「けどな、俺が落としたのと同時に、それに気付いたんだろうな。メンバー全員が俺の失敗をカバーしようとしてくれた。自分のことで、いっぱいいっぱいだったろうに」
あの時の感動は、忘れない。
友と言う存在の大切さが、初めてわかったのは、あの時だろう。
「まあそれで、俺も落ち着いたし、後は失敗もあったけれど、何とか乗り切ることが出来たんだ。自分が失敗しても仲間がいるし、奴らが失敗したら、俺が助けるんだ、って、そんなことを思ってたっけな」
そして彼は顔を上げ、少年達の顔を見回す。
あの頃の自分も、きっと彼らと同じ表情をしていたのだろう。
「君達は、すごく練習してきただろ。その自分を信じるんだ。失敗は怖がらなくていい。仲間がいるんだから。助け合って、ここまでやってきたんじゃないか。信じてあげな。誰か一人がミスしたら、皆でカバーしよう。そうすればきっと、上手くいくさ」
言い終えて、彼は椅子から立ち上がった。
「偉そうなこと、言っちゃったな。ま、練習どおり、楽しんでくればいいさ」
じゃあな、と言って、彼はマヤをうながして部屋を出た。急ぎ足で。
頬が赤くなっているのを、見られたくなくて。
「大丈夫さ。シンジ君達なら」
コーヒーの入ったカップを机に置きながら、青葉はマヤに答えた。
だが、そう言ってみても、不安が消えるわけではない。別に何か責任を負っているわけでもないのだが。
「……そうですよね。青葉さんの話も良かったですし」
「……本当にそう思うかい?」
弱気な言葉を漏らす青葉の姿に、マヤは驚く。
「俺なんかの話が、プレッシャーにしかならなかったんじゃないかって」
彼らは自分とは違う。あの戦いの中で、勇気を見せてみせた少年達と、自分とでは、大きな差があるのではないか。そう、彼は思っていた。
なのに。
つい、偉そうなことを言ってしまった。
「そんなことないですよ。皆、顔が明るくなってましたよ」
かけられたマヤの声に、偽りの匂いはなく。
彼は背けていた顔を前に向ける。それを迎えるは、穏やかな微笑をたたえたマヤの顔。
「……そうかい?」
瞬時、見惚れて。だから、か。
彼の口から出てきたのは、どこか間の抜けた響きの言葉で。
だがそれを嘲る彼女ではなく。ただ、ゆっくりと。
「ええ。リラックスできてたと思いますよ。アスカちゃんなんて、私に軽口言ってきたぐらいですから」
「へぇ……アスカちゃんが、ね」
実は、彼らの中で一番緊張していたのは、アスカではないか、と青葉は感じていた。
仕事ではなく、プライベートで付き合ってわかったのは、彼女が非常に責任感の強い少女だということ。
当たり前のことなのだが、何故か、新鮮に思えた。彼女が励むのは、仕事だから、ではなかったという事実。
責任。自分達のバンドの出来を左右するのが、自分の歌であるということを知っているが故に、余計に自分にプレッシャーをかけているように見えたのだ。
彼女が以前、壊れそうになったのも、その責任感故かもしれないな。
青葉はそんなことも思う。
エヴァに乗らなければいけない、エースでなければならない、そんな責任を。
誰に強いられるでなくとも、自ら抱え込もうとした。
それが、青葉から見た、アスカという女性の人物像だった。
成功を目指す気持は、常に必要だ。しかし、今回に限れば、完璧を目指す必要はないのだ。その点が、使徒戦と異なるのだが、アスカの姿勢は変わらないもので。
それが悪いと、青葉は思わない。だがもう少し、肩の力を抜いた方がいい、とは考える。常に完全を目指すのは、疲れるし、逆に一つの失敗でつまずいてしまうのではないか。
もっともそれは、人生観の違いに繋がるのかもしれない。彼は、きっと彼女や、シンジのようには生きられない。
乾いた視線。言い換えれば、斜に構えた姿勢。何時の間にか、それが彼のスタンダードになってしまっていたから。
ともかく。
失敗しても良いという心の余裕を持ってもらいたいと思って、話した経験談。マヤの言葉が本当かどうかはわからないが、それで心が軽くなったのならば、良かったと思う。
「……ところで、アスカちゃんに、何て言われたんだい?」
「……!!知りません!!」
「そ、そう?わかった」
ふと思いついて尋ねた言葉に、予想外の強い反応。顔を真っ赤にして、視線を落とすマヤの剣幕に、たじたじとなる青葉。
何を言われたか非常に気になったが、答えてもらえそうもなく、青葉は心中、首を傾げながらも、聞き出すことを諦めたのだった。
♪You better lose yourself in the music,
the moment, you own it you better never let
it go!!
You only get one shot, do not miss one
chance to blow, this opportunity comes once
in a lifetime!!
「次ですね」
マヤが隣の青葉に声をかける。ステージ上には、ニット帽を被ったラッパーがいる。なかなかの腕前。
また一つ、心配事が増えた。この文化祭に出演しているグループは、どこもレベルが高い。アスカ達と同じか、それ以上。
となると、後は聴く側をどれだけ取り込めるか。その点で、今いる彼らのラップは見事であり、この後に出て来るのは、少々辛い。客の頭の中に、前の音が焼き付いていて、乗り切れないかもしれないからだ。
♪You can do anything you set your mind to,
man…
オオォォォォォッ
地響きのような歓声の中、マイクをステージに投げ捨て、中指を観客に立てながら消えていく彼ら。意味がわかっているかどうかはともかく、場の空気を支配していたことは確かだ。
「高校生があんなことするなんて……不潔です」
おそらくパフォーマンスのことなのだろう。マヤは眉をひそめた。
それとは違う理由で、青葉もマヤと同じ行動をとる。この中を、シンジ達は出てくるのか。
ステージ上の照明が落とされ、闇に包まれる。微かな物音は、衣擦れか。次のバンドの用意をしているのだろう。つまり、アスカ達の。
やがてそれも静まり、観客席のざわめきも落ち着いて。
「いよいよですね」
マヤの囁きが近くで聞こえるが、青葉は生返事を返すだけ。その横顔を見て、彼女が優しく微笑み、袖を軽くつかんだことにも、気付かない。
何故か彼が、緊張していた。自分が演奏するわけでもないのに、と言い聞かすが、落ち着かない心。
周囲の観客達の期待を感じてしまう。アスカとレイ、二人の絶世の美少女と、シンジとカヲル、二人の美少年の人気が基にあるのだろう。彼らの演奏を、歌を、心待ちにしているのだ。観客達は。
心臓がぎゅっと握られたような感覚。青葉は左胸に手をそえる。
こんな風になるのは、いつ以来だろう。使徒を目前にしても、動揺したことなどなかったのに……
彼が、緊張と熱気に、眩暈を覚えかけた時。
突然、視界が明るくなった。
「Are you ready?」
同時に響く声。
ステージ上に、いつの間にか並んでいる、少年少女。全員が、制服を着ている。
♪ヘーイ、ヘイヘイヘーイヘイ!
(ヘーイ、ヘイヘイヘーイヘイ!)
アスカの歌に、シンジ達少年全員が応える。
♪ヘーイ、ヘイヘイヘーイヘイ!
(ヘーイ、ヘイヘイヘーイヘイ!)
Hey! (Hey!)
Hey! (Hey!)
ドラムの音が響いて、アスカがスカートを翻して踊り出す。
♪あいつもこいつも……
『学園天国』。もう二十年以上前の歌だが、最近、リメイクされたこともあって、再び人気が出た曲。
ステージの一番前にまで出て歌うアスカの姿に、高校生達の歓声が爆発した。
そんな中、安堵のため息をつく青葉。
見た限り、緊張はそれほどしていない。最初は硬かった表情も、客の反応を見て、少しずつほぐれていったようで、満面の笑みを浮かべて踊るアスカ、他のメンバーも余裕が出てきたのか、リズムに乗って体を揺らしている。
♪Hey!
『Hey!』
アスカが煽るように、マイクを観客席に向ける。青葉もマヤも、そしてこの小さな体育館の中にいる全員が、それに応えた。
熱気も、流れる汗も気にならない。ただ、力の限り、大声を張り上げる。
一体感が、生まれつつあった。少女の歌声が、心を一つにしていこうとしていて。
歌い終わって、軽く礼をするアスカに、爆発する拍手と口笛。
それを遮るように、再び鳴り響くドラム。
♪聞きたいのに、聞けない
袖に引っ込んだアスカに代わって、水色のキャミソールに七分丈のジーンズのレイが現れ、歌い出す。
『Distance』。R&Bをレイが歌うと聞いて、最初、青葉は驚いたものだった。彼女が自分から、歌いたいと言ったのだという。
歌詞に何か、感じるところがあるのだろう。
♪I wanna be with you now
二人のDistanceも抱きしめられる ようになるから
We can stay together
一つにはなれない……
表情はいつもと変わらず、美しい声はやや硬い。
しかし彼女が、必死にその歌に、想いを乗せようとしていることは、きっと全員に伝わっただろう。
レイの曲が終わると同時に、アスカが再びステージへと現れる。
バックステージで着替えたのだろう。黒のタンクトップにジーンズ。
手に持ったマイク。そして歌い出す。
♪Get your motor runnin’
『Born to be wild』。青葉が推した曲だった。彼が幼い頃に聞いて、ギターをやろうと思ったきっかけとなった曲。正直、彼らがこの曲を選んでくれたことが、嬉しかった。
♪Born to be wild!!
(Born to be wild!!)
シンジ達のコーラスに合わせて、観客全員が叫ぶ。ステージの一番前で思いっきり体を伸ばし、最前列の少年達に向かって吠えるように歌うアスカ。
彼女から発散される熱気が、観客を巻き込んで、歌に乗って昇華されていく。天井が抜けるのではないか。そんな錯覚すら、覚えるほどの奔流。
観客のボルテージが最高まで上り詰めたところで、アスカがシャウトする。
♪Born to be wild!!!!
マイクを持たない手が突き上げられる。彼女の声と音が、余韻を残して消えていく。
口々に意味不明の声を上げる観客達。
若さだな、と思う青葉。そういう彼も汗だくになっているが。まだまだ、自分も。
マヤもまた、額の汗と瞳、両方を光らせている。
上気して、軽く紅潮した顔に輝く笑みに、青葉は心を。
奪われて。
だから、ステージ上から、少女達が姿を消したことに気付かなかった。
♪君は いつも僕の薬箱さ
どんな風に僕を 癒してくれる
シンジが爪弾くアコースティックギターにあわせて、カヲルの声が響く。
♪笑うそばからほら その笑顔
泣いたらやっぱりね 涙するんだね
続くケンスケ。ステージに残ったのは男四人。シンジ、トウジ、ケンスケ、カヲル。彼らが歌う、『らいおんはーと』。
アタシ達女だけじゃなくて、男も歌いなさいよ。アスカの鶴の一声で、この曲が決まったのだ。最初、歌は苦手だと難色を示していたトウジも、
「下手でもいいのさ。心がこもっていれば」
という青葉の言葉と、ヒカリの、
「私も、鈴原の歌、聴いてみたいな」
という願いに、覚悟を決めたのだった。
上手さでは、女性ボーカル二人には及ばないだろう。だが彼らは、本当に良く気持を込めて歌う。それぞれの心の中に、想いを捧げる相手の姿を思い描いているのだろう。
アスカとヒカリは、どんな想いで、この歌を聴いているのだろう。青葉はそんなことを、ふと思った。そして隣の、幼顔の女性に目を向ける。
この歌を、彼女のために歌う日が、いつか来るのだろうか?
次に姿を現したのは、レイとヒカリ。
ヒカリの指が、キーボードの上を踊る。
奏でられる音色。
白いワンピースに身を包んだレイ。清楚、いっそ神々しい彼女の姿に、あちこちから聞こえる、息を飲む音。
彼女はゆっくりと、マイクの前に立って、口を開いた。
♪Fly me to the moon,
and let me play among the stars
儚い調べに満たされる体育館。少女の声は。
遠くへ。遠くへ。届くようにと。
表情が、あった。
顔ではなく、歌に。
レイが誰の顔を、その胸の内に想っているのか、青葉は知らない。
だが、彼女は確かに、その人に、語りかけている。
月へ、連れて行って、と。別の言葉に、するならば。
愛している、と。
その声は、しかし、せつない。空に溶けていく。
彼女も、それを知っている。何故か、わかった。きっと、聞いていた全員が。
それでも、レイは歌う。この、恋の歌を。
声は震える調べ、だが、強い。宙に吸い込まれてなお、余韻を残して。
♪In other word…
I love you…
彼女は、歌い上げた。
手にしたもの、その名は希望。
自然と沸き起こる拍手に一礼するレイ。同時に落ちる照明。
いぶかしむ間もなく、スポットライトが光る。
白光の中に、浮かび上がったのは。
黒一色の服に身を包んだアスカの姿。まるで、喪服のような。
そして逆に、白一色のシャツに、色落ちしたジーンズのシンジが、少し離れた場所に立つ。
影と、その影。ふと、青葉は思う。影の影、それは光なのだろうか?
青葉は、次があの曲だと知った。
アスカが、どうしても歌いたいと言った曲。
そして何故か、彼が一度も、彼女が歌っているのを聞いたことがない曲。
全ての練習に参加したわけではないので、仕方がないかもしれないが。
そんな物思いが破られたのは、ステージ上の少女の顔に目をやった時。
凍りついたように、動けなくなる。
何も、浮かんでいなかった。彼女の顔には。まるで、白い仮面。
青い目を見開いた、死者。不吉な連想にとらわれる青葉。
哀しいピアノの音色が響いて。
そして。
彼女は。少女は。
歌いだした。
How can you see into my eyes like open doors
Leading you down into my core where I’ve
become so numb
Without a soul
魂が抜け、何も感じない心、その奥へと続く開いた扉を見るように
私の瞳を覗くのは何故?
My spirit sleeping somewhere cold
Until you find it there and lead it back
home
あなたが見つけて、元いた場所へと導き戻してくれるまで
私の心は、どこか冷たい場所で眠っている
(Wake me up!) Wake me up inside
(I can’t wake me up!) Wake me up inside
(Save me…) Call my name and save me from
the dark
(起こしてくれ)私を目覚めさせてよ
(一人では起きられないんだ)心を目覚めさせてよ
(助けてくれ……)私の名前を呼んで、闇から救い出して
(Wake me up!) Bid my blood to run
(I can’t wake me up!) Before I come undone
(Save me…) Save me from the nothing I’ve
become
(起こしてくれ)体に血を通わせて
(一人では起きられないんだ)破滅する前に
(助けてくれ……)無と化した私を救い出して
Now that I know what I’m without
You can’t just leave me
欠けたものが何か、わかった今
私を置き去りにしないで
Breathe into me and make me real
Bring me to life
命を吹き込んで、現実に引き戻して
私を生き返らせて
(Wake me up!) Wake me up inside
(I can’t wake me up!) Wake me up inside
(Save me…) Call my name and save me from
the dark
(起こしてくれ)私を目覚めさせてよ
(一人では起きられないんだ)心を目覚めさせてよ
(助けてくれ……)私の名前を呼んで、闇から救い出して
(Wake me up!) Bid my blood to run
(I can’t wake me up!) Before I come undone
(Save me…) Save me from the nothing I’ve
become
(起こしてくれ)体に血を通わせて
(一人では起きられないんだ)破滅する前に
(助けてくれ……)無と化した私を救い出して
Bring me to life
私を生き返らせて
(I’ve been living a lie)
(There’s nothing inside)
(嘘の世界に生きていた)
(心には何もなく)
Bring me to life
私を生き返らせてよ
Frozen inside without your touch without
your love
Darling
Only you are the life among the dead
あなたと触れ合えず、愛もなく、私の心は凍りついた
ねえ
愛するあなただけが、死者の世界の中のただ一つの生命
(All this time I can’t believe I couldn’t
see)
(Kept in the dark but you were there in front
of me)
(長い間、闇に捕らわれて、何も信じられず、何も見えなかった)
(だけど、君は僕の目の前にいた)
I’ve been sleeping a thousand years it seems
Got to open my eyes to everything
何千年もの間、眠り続けていたよう
全てのものに目を開かなくては
(Without a thought without a voice without
a soul)
(Don’t let me die here there must be something
more….)
(思いもなく、声もなく、魂もない)
(僕をこのまま死なせないで、未来には何かあるはずなんだから)
Bring me to life
私を、生き返らせて……!
(Wake me up!) Wake me up inside
(I can’t wake me up!) Wake me up inside
(Save me…) Call my name and save me from
the dark
(起こしてくれ)私を目覚めさせてよ
(一人では起きられないんだ)心を目覚めさせてよ
(助けてくれ……)私の名前を呼んで、闇から救い出して
(Wake me up!) Bid my blood to run
(I can’t wake me up!) Before I come undone
(Save me…) Save me from the nothing I’ve
become
(起こしてくれ)体に血を通わせて
(一人では起きられないんだ)破滅する前に
(助けてくれ……)無と化した私を救い出して
Bring me to life
私を生き返らせて
(I’ve been living a lie)
(There’s nothing inside)
(嘘の世界で生きてきた)
(心には何もなく)
Bring me to life…
私を生き返らせてよ……
激しく体を揺らし、時には飛び跳ね、力の全てを楽器に叩きつけ、音にしたトウジ達。
ギターを弾きながらも、コーラスの部分では、マイクを握り締め、アンプに足を乗せて叫ぶように歌ったシンジ。
アスカは、立つ位置も、表情も変えず、常にマイクを持つ右手も動かさず。左手だけが別の生き物のように、自らの頬をなぞったり、伸ばす声にシンクロさせて広がったりしていた。
彼女は、どこも見ていなかった。時に目をつぶることもあったけれど、それ以外で彼女が見ていたのは。
聴衆ではなく、その向こう側。
壁でもない。そのさらに向こう側。
彼女の声は、心からあふれ出た響き。
体育館を満たし、聞く者の心を侵していく。
強さも、弱さもない。そこにあるのは。
一人の、少女の、ありのままの姿。そしてその全て。
ガラスが割れるかと思うほどの声量だったのに、耳は痛くない。一字一句、はっきりと聞き取ることが出来た。
震えていた。足が。腕が。体が。
心が。
歌がこれほどまでに、人を表し。人を伝え。
人を動かすものであることを、青葉は知らなかった。
アスカの声が、まるで泣いているかのように聞こえる最後の響きが、やがて消えようとする頃。
再び切ないピアノの独奏。
強張っていた体から、力が抜ける。
ステージを照らしていたライトが、少しずつ、暗くなっていき、アスカ達の姿を闇に包んでいく。
自然と、拍手が、沸き起こった。
誰もが、感じていたに違いない。
彼女の歌に秘められた、想いを。
青葉も、思い切り手を叩く。痛いほどに。
「……はい、青葉さん、これ」
マヤに声をかけられ、振り向いた彼の前に差し出されたハンカチ。
「頬、拭いてください」
言われて初めて。
頬を伝う涙に、気が付いた。
とめどなく、溢れる、熱い液体。
戸惑うほどに。胸が……いや、心が、炎のように燃え盛っていて。
次々と雫となる、心の欠片。
ありがとう。そう言おうとして叶わず、黙って受け取る。
ぼやけた視界だったが、そこで初めて。
マヤもまた、ぼろぼろと泣いていることに気が付いた。もう一枚のハンカチを目にあてて、うつむいている彼女の腕を。
青葉はそっと引き寄せ、かき抱く。抵抗せず、逆に彼の腰に手を回すマヤ。
胸に押し付けられる彼女の顔。髪に顔をうずめた青葉の鼻をくすぐる、甘いシャンプーの香り。
騒々しい世界の中で、二人は自分達の周りだけ、沈黙が支配しているように思えて。
ゆっくりと腕にこめられる力。互いの存在を、確認するように。
まだ、涙は止まらないけれど、だけど。
彼を、彼女を、抱きしめることで、震えていた心が、落ち着いていく。
次の曲が始まっても、二人は、ずっと、そうして。
ぬくもりを、感じあっていた。
「今日は、付き合ってくださって、ありがとうございます。青葉さん」
全ての演奏が終わった後。二人は、学校を出て駅に向かってゆっくりと歩く。
熱の余韻は冷めやらず。心の昂ぶりは静まらず。
胸、打ち震わした感覚は、今も頭の片隅に、響いて去らない。
繋いだ手。近すぎず、遠すぎず。
陽はすっかり落ちて、空は黒。
天に星は瞬かずとも、地には溢れる、人の作りし光が。
今頃、彼らが去った後の学校では、かがり火をたき、一日の思い出を振り返っているのだろう。
昇る火の粉と、木の弾ける音。
記憶に深く、刻まれるだろう。
この楽しくも激しく、長くて短い今日のことは。
ただそれは、少年と少女達のものであるべきもので。
青葉とマヤは、夜道を歩く。
手を繋いで。
「ん……いや」
二人の間に交わされる、言葉の数は少なくて。
だが満たされている、二つの心。
まだなお揺れる、胸の奥。
歌声響き、離れない。
「……いい演奏でしたね」
マヤの言葉に、青葉は深く、頷いてから、横を見る。
共に歩くは、一人の女性。想いを寄せる、可憐なヒト。
彼女と時を、共有し。あの歌を共に、聴けたこと。
誰とはなしに、感謝する。いや。
少年少女に、感謝する。
あの歌は。
青葉は思う。
少女の過去だ。
追い詰められて、精神をすり減らした頃の。
そして。
少年の過去だ。
誰にも必要とされていないと、思っていた頃の。
彼は、アスカとシンジのことを、深く知っているわけではない。
特に、あの戦いのさなか、心を疲弊させていった頃のことは。
無理もない。彼は二人と、今回のことがあるまでは、深い付合いがあったわけではないのだから。
だが彼は、強烈に今、自らを恥じていた。
使徒と戦うこと。人類を守ること。それを仕事だとしか、思えなかった自分が、ひどく穢れた存在に思えた。
人生の傍観者?ふざけるな。俺はただ、逃げていただけだ。
綾波レイとは、全く違うのに、共感などと、勘違いもはなはだしかった。そう自分を責める。
何も見ようとしなかった。目の前に、それはあったのに。
人生を、己以外の存在にもてあそばれ、戸惑い、逃げ惑いながらも、少しずつ、前に進んだ少年。
逃げることを自らに禁じ、自己の存在理由をエヴァに求め、ただただ前へと突き進み、燃えつきかけた少女。
二人の姿を、行動を、目の当たりにしたはずなのに。自分は。
何も感じていなかった。何も思っていなかった。
希薄な現実感。そんな飾られた言葉は、言い訳に過ぎなくて。
死んでもいい?嘘をつけ。本当にそんな目に、あったこともないくせに。
少女は。
Bring me to life
歌の一節が頭をよぎる。
生き返らせて。私を生き返らせて。
青葉が感じた、その歌に込められた願いは。
少女は少年に触れられることを、愛されることを、求めた。
傷つけられ、裂けた心。張り詰められ、切れそうな精神の糸。
彼女は一度、死んだのだ。そして。
歌を、歌った。
Bring me to life
そして、少年は。
All this time I can’t believe I couldn’t
see
Kept in the dark…
闇に捉われていた。何も見えず、何も信じられずにいた。
その何もない、嘘だらけの世界で、彼は目覚めさせてくれ、と叫んだ。
未来に希望、なんて彼は感じていなかったのだろう。
ただ、今が苦しくて。苦しくて、どうしようもなくて。
助けを求めていたに過ぎない。
もし彼にとって、死が癒しであるならば、受け入れていたのかもしれない。
But
You were there in front of me
だが、彼女は、彼の目の前にいた。
だからこそ。彼は、死なせないでくれ、と叫んだのだ。
未来には、何かあると思ったから。希望、ではない。
彼がいて。そして、彼女がいたら。
きっと、何かがある。
それが例え、どんなに辛い事だったとしても。彼女がいれば。
嘘の世界から、抜け出すことが出来ると。
少女は、彼に。いや、彼にだけ。
命、を感じた。
彼女が見た世界は、死者だけの世界。誰とも言葉の通じない、孤独。
彼だけは、その中で、鈍く、輝いていた。
命の、きらめきを。
彼は、彼女を選んだのではない。
彼女は、彼を選んだのではない。
彼には。そして、彼女には。
彼女しか。彼しか。
いなかったのだ。
選択の余地など、なかった。
一人しか、いなかった。
それに気づいた時。
シンジは目を覚まし。
アスカは生き返った。
死者の世界。
死者。それは、俺だ。
青葉は自分を責める。
少年と、少女。その心に、気付けなかった。
近づこうとすら、しなかった。
『良心の呵責』を覚えながらも。
何もしようとしなかった。
そんな俺は、二人にとって。
死者に、等しい。
「Bring me to life…」
唐突に、彼の左側から聞こえる声。物思いを破られた青葉は、立ち止まって横を見る。
繋がれた手の、その先。静かに笑みを浮かべる、マヤの顔。
「生き返らせて、ですか。アスカちゃんらしいですね」
薄暗がり。ぼんやりと光る電灯。淡いきらめきの中にたたずむ彼女は、見上げるようにして、青葉の顔をのぞきこんだ。
「歌で、あんなに感動したの、初めてです。あ、でも……」
わずかに眉をひそめて、人差し指を唇にあてて考え込む彼女。幼い仕草。
「感動、とはちょっと違う……?」
口にした言葉に、マヤは、
「そうですね。その通りです。感動、って言うのとは、ちょっと違うんです」
形容しがたいのだ。心は打ち震わされた。自然と、涙が溢れた。
だが、感動、という言葉だけでは言い表せない。
複雑で、絡み合っていて、一つ一つを見れば、全く別々のベクトルを持っているのに、何故か、分かちがたく。
「わかるよ、俺も」
彼女の目を見て、呟くように言う青葉。
「あれって多分、アスカちゃん達の想いそのもの、なんだろうな」
「青葉さんも、そう思いました?」
見詰め合う二人。青葉は、口に出しては何も言わず、ただ頷く。
「あの歌って、アスカちゃんがどうしても歌いたいって、こだわった曲なんですよね」
「……ああ、そうだけど」
何故か。青葉はわかりかけていて、だけど、ほんの少しだけ、近付けないでいて。
「私、思うんです」
マヤが紡ぎだす言葉は、糸となって彼を縛る。青葉は、自分を見つめる彼女の目が、誰かに似ていると思って。
「あれは、歓喜の歌なんだって」
もしくは、希望の歌。そう言った時、繋がれていたマヤの手に、力がこもる。小さな、だけど、暖かい手。ぬくもりを感じながら、青葉は、心の中でゆっくりと、彼女の言葉を反芻する。
「歓喜、希望……」
「生き返らせて……そこまで想える人が、いるということは」
幸せだと、思いませんか?
少しだけぎこちない笑顔は、自信がないせいか。
「ああ……俺も、そう思うよ」
そうだ。きっと、彼女が言っている通りだ。
あの歌は、純粋な想いだった。
だからこそ、青葉は、そしてマヤは、心を動かされた。
それぞれが少年と少女に抱く想いを、刺激されて。
しかし、アスカ達は、きっと。
単純な、とても単純な、願いと想いを歌に込めたに過ぎない。
考えてみれば。
少年がいて、少女がいる。
それだけでも、世界は、成り立つのだ。
死者の世界に、命を持つのは、二人だけなのだから。
彼らが望めば、本当に、二人だけの世界を築くことが出来たかもしれない。紅く光るネオンを見ながら、青葉はふと、そんなことを思う。もっともすぐに、頭を振って、下らない考えだと追い払ったが。
長い髪が、パサリ。目にかかるのを、払いのける。そして、思いを続ける。
彼女が歌を歌うことにこだわったのは。
自分が共感できる歌だったから、というだけではなくて。
もう一つ、その向こう側。
誰もがきっと、この想いを。
理解できると、信じていたから。
『恋ぐらい、普通にしたい』
マヤから聞いた、アスカの言葉。
そう。
自分達は、特別ではなくて。
ありきたりの、少年と少女で。
恋をしている。
それは激しく、深い恋で。だけど。
特別じゃない。
「歌って、本当に、すごいんですね」
ふと、彼女が口にした瞬間。
青葉は、そっと、彼女を引き寄せた。
腕の中には、可憐な女性。
驚きの声はあがらない。ただ。
まるで、ずっと昔から、そこを知っているかのように。
マヤは、彼の胸に顔を埋め。
そっと、吐息を漏らす。
目を、閉じながら。
闇にとらわれていたのは、自分も同じだ。
使徒との戦いの中で、何も見ようとしなかった自分。
だけど。
少年は、確かにそこにいて。戦っていた。
少女も、確かにそこにいて。戦っていた。
そして。
彼女もまた、確かにそこにいて。
背中に回した腕に、少しずつ、力を込めていく。
もっと、もっと。
近づいてくれ。心に。
一人ならば、目を覚ますことが出来ただろうか。
自らに問いかけて、すぐに否定する。
彼女が。マヤがいなければ。
俺はきっと、ここにはいない。
歌を聞くこともなかったろうし、聞いても何も感じなかったに違いない。
恋。そして、愛。
ありきたりの、使い古された言葉。
だが、だからこそ。
伝わったのに違いない。
少女と、少年の、想いが。歌に込められた、意思が。
『Bring me to life』
生き返らせて。
それはきっと。
貴方の側にいる、誰かの。
聞き逃してはいけない、心の叫び。
「青葉さん、ちょっと、苦しいです」
少し苦しそうなマヤの声に、慌てて腕の力をゆるめる青葉。
「あ、ご、ごめん」
謝る青葉に、マヤはにこりと笑う。彼から離れようとは、しなかった。
そっと、顔を近づける青葉に。マヤは、瞳を閉じる。
唇が彼女に触れる直前に、青葉は、想いを囁く。
その瞬間。
マヤから、唇を、近付けて。
二人の距離は、零になった。
「いつか、青葉さんの歌も、聞いてみたいです」
何が、変わったわけでもない。
繋がれた手。二人の距離は、変わらない。
呼び方も。
だけど。
青葉は感じていた。自分の手の先に、マヤがいることを。
それは。
一つの、繋がった体になったかのような、感覚で。
「俺の歌なんて、たいしたことないよ」
「じゃあ、ギター。聞かせてもらえます?」
変わらない口調。しかし、何故か。
マヤが甘えてきているかのように、思えて。
「いつか、ね」
「それと、青葉さんが昔、やってたバンドの曲とかも」
OK。苦笑しながら、青葉は頷く。
にこりと笑う彼女の笑顔に見惚れながら、彼は思った。
意外と、甘えん坊なのかもな、マヤちゃんって。
「それじゃあ、俺の友達のライブ、行ってみるかい?」
「はいっ!!」
嬉しそうだ。目を細める青葉。
そして思う。
もう、何年も、彼が連絡をとっていない友人達。
青春の一時を共にし、同じ情熱を分かち合った彼ら。
会いたい、と思った。
昔のように、とはいかないかもしれないけれど。
話してみたい。
お前達は、どうだった?
プロになって、どんな生活をした?
そこで、何を考えた?
きっと俺は、問い返されたら、答えられない。
今までの俺は、死者だったから。
だけど。
俺は、生き返った。
そして、胸を張って言うんだ。
これからは、愛する彼女と共に、生きていくのだ、と。
Bring me to life
生き返らせて。
それは、誰もが思う言葉。
誰もが、口にする言葉。
愛する人に、伝えたいと。
願う、言葉。
だけど、世界は闇に包まれていて。
伝えたい人が誰か、わからない。
そんな時は、光を探せばいい。
死者ばかりの世界に見えても、きっと。
命のきらめきを放っている誰かがいるから。
その時、気付くだろう。
愛すべき人は、目の前にいるということに。
それがきっと、シンジと、アスカが歌で伝えたかったことだと。
青葉は思うことにした。
結局、前の戦いは、何だったのか。
自分に問いかけて、答えは、まだ見つからない。
だけど、そんなことに関係なく、時は流れ、日は過ぎていく。
その中で人は、誰かを愛し、愛されて、生きていく。
今はそれでいい。
きっと、その過程で、自分なりの発見があって。
そうしてたどった道が、何かを証明してくれる。
どこかに、導いてくれる。
そう、信じたい。
どんなに現実感が希薄でも、俺は確かにこうしてここにいるわけで。
二人に教えられたことを胸に。
歩いていく。
ゆっくりと。一歩ずつ。そして、変わっていく。
その先に何が広がっているのか。わからない。だが。
楽しみだ。
そこにはきっと。
青葉は、隣を歩く女性に目を向ける。
きっと、彼女もいるから。共に歩んで行こう。
シンジ君と、アスカちゃんのように、とまではいかなくても。
少しでも、そこに、近づけるように。
大丈夫。
俺には、彼女がいて、少年少女達がいて。
もう二度と、現実から逃げないでいられる。
青葉はそう思い、そっと。
笑った。
次回予告
聖夜、クリスマス・イヴ。にぎわう街に出かけたシンジとアスカは、渚カヲルと出会う。
使徒としてではなく、人として生きる道を選んだ彼。
仲の良い二人の姿に目を細めつつ、たたずむ彼の想いとは……
歳時記之伍 聖なる夜、歌声は高らかに
<後書き>
長くなりました。内容も、間も。申し訳ございません。ガラガラ猿でございます。
と、言うわけで。歳時記之四でございます。
ドラえぽん様にあっさり見破られてしまいましたが……前回の答えは、まさにそのエヴァネッセンスでした。さすがですね、ドラえぽん様。
改めて申し上げますと、Evanescence『Bring
me to life』です。
名前をあげていない曲は、Limp Bizkit『Rollin’』と、Eminem『Lose
yourself』です。どちらも私が、カラオケに行ったら必ず歌う曲ですね。日本のラップも好きですが、今回はイメージにそぐわないということでパスしました。
次回はカヲル君ですね。うまく描けるかどうかわかりませんが、頑張りたいと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。
ガラガラ猿 拝
| ぐあっ、やってしまった…前回適当に答えたのが当たってしまってますた… ネタバレしちゃってごめんなさい(- -; しかし、改めて『Bring me to life』の歌詞を見るとアスカ様とシンジ君らしい歌詞ですね〜。全然気付きませんでした。 全然ちがいますが、ニルヴァーナとか昔好きでそういやエヴァっぽい歌あったなあとか思ったり。 Born to be wildとかもマニアックですね〜。ドラえぽんは密かにロック野郎なので、このへんは昔良く聞いてました。なんか燃えるんスよねこの曲は。炎属性wのアスカ様にはピッタリな感じがします。 それにしても、良い話ですね〜。青葉の斜に構えたような態度は、いわば自分を守るために自分で作った壁だと思うのですが、アスカ様達の歌でその殻を破る事が出来たんですね。 改めて思いますが、エヴァはそれぞれのキャラが心の壁を作って大事な部分から逃げ出して来たんだなあ、と思いました。「再誕」は全てのキャラに於いてエヴァの主眼のような気がします。 心を解き放った彼らの未来に幸アレ!ガラガラ猿さん、素敵な作品をありがとうございました。 さあ、イカスぜヽ(。>∀<)ノうひょう!という方もそうでない方もガラガラ猿さんに是非ともご感想を! ガラガラ猿さんへのご感想はこちらへお願いします。 または感想掲示板へもお気軽にどうぞ。 ガラガラ猿さんにはまだまだ投稿掲示板にも作品を頂いております。こちらも要チェックです。 |
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