右手左手シリーズ
「彼がそこに、至る過程」

ガラガラ猿





 その日、碇ゲンドウが目覚めると、左手が碇ユイになっていた。
「ユイーーーーーーッ」
 ゴツンッ
「頬ずりしないで下さいな、あなた。髭が痛いんだから」

 慌てて髭を剃ろうとする彼だったが、
「その前に、あなた。話があります」
「……何だ」
 愛する妻に会えたことで浮かれていたゲンドウだったが、彼女の顔に浮かぶ表情を見て、その心に冷や水をさされた。
 彼女は、あからさまに、怒っていた。

「シンジのことですけれど」
「シ、シンジか?元気にやって……」
「無理やり初号機に乗せて、何が『元気にやっている』ですかっ」
「す、すまん」
「それに、私が消えてから、シンジを人に預けて、ほったらかしにしてたわね?」
「そ、それは、俺は忙しかったし、シンジにどのように接すればいいか、わからずに……」
「問答無用っ!その場に直れっ!」
 慌てて土下座をするゲンドウ。左手だけはあげているが。他人に見られたら、確実に恥ずかしい姿である。さらに言えば、そんな格好をしているのが、あの、NERVの総司令なのである。
「どのように、ですって?あなた、仮にもあの子の父親でしょう?あなたが不器用なのは知ってますけれど、それでも子供の側にいるのが、親の務めというものじゃなくて?」
「……………………」
「それは確かに、親はなくても子は育つ、と言いますけれどね。でも!あなたの場合、ただあの子から逃げただけでしょ?忙しかろうが、手元に置いておくことぐらい出来ただろうし。第一、一度も顔を見せなかったんでしょう?あの子のところに」
「うう……」
「休みが少しぐらいはあったはずよね?せめてあの子のところに行くことぐらい、出来たでしょうに」
「……面目ない」
「それを言うのは、私にでなくて、シンジにです」
 穏やかな言い方ながら、その言葉はゲンドウの胸を刺す。
「あなたが私のことを愛してくださっていることは知っています。シンジのことを愛していることも。ただ、私への愛情に固執して、シンジへの愛情を曇らせてるようでは、私、あなたのことを愛せなくなってしまいますよ?」
「それは困るっ!」
「だったら!ちゃんとあの子への愛情を見せなさい。不器用なら、不器用なりのやり方というのがあるでしょう?」
「……………………」

「それと、レイちゃんのことですけれど」
「レイのことか……」
「私の面影を残してますわよね、あの子。私のクローンなんですから、当然でしょうけれど。だから、あなたはシンジより、あの子に優しいのでしょう?」
「……その通りだ」
「でも、その割には、ひどいところに住ませたり、変な実験に使ったりしていますわよね?」
「……俺は怖かったんだ」
「何をです?」
「レイは、あまりにもお前にそっくりだ。クローンだからな……だからこそ俺は、レイに惹かれることを恐れた。レイは、俺の計画に絶対に必要な要素だった。だからこそ、俺はレイに心を移すことが許されなかった」
「……………………」
「俺はレイを利用している。レイに情を寄せれば、俺はきっと、レイを利用できなくなる……レイに感情を教えなかったのは、いつか必ず、俺はレイを裏切ることになる。その時に、レイを悲しませたくなかったからだ」
「……本末転倒ですよ、それでは……」
「……………………」
「結局あなたは、もうレイのことを大切に思っているのよ。それを認められないから、半端な態度しかとれない。そういうことね?」
「……その通りかもしれん……」
「本当に、不器用な人」
「……………………」

「次に、アスカちゃんのことです」
「セカンド・チルドレンか」
「その言い方はやめなさい。あの子には、惣流=アスカ=ラングレーという、立派な名前があるのだから」
「……わかった。惣流君。これでいいか?」
「まあいいでしょう。あなた、あの子のことを、駒にしか思っていないわね?」
「……………………」
「沈黙は肯定とみなします。あなたの計画に、あの子のことは入ってないようね」
「…………ああ」
「つまり、あの子は予備なのね?シンジが……使えなくなった時の」
 そう言った時、ユイの顔が苦々しく歪んだことに、ゲンドウは気がついた。今も頭を下げたままだが、そんな感じがしたのだ。
「……そういうことになる」
「全く。キョウコが聞いたら怒るわよ?『うちの娘をー!!』って」
「……そうだろうな」
「それに、いいの?あなた、シンジがあの子に惹かれていること、知っているのかしら?」
「……本当か?」
「ええ。シンクロテストなんかで初号機とシンクロしている時に、シンジの想いとか、記憶なんかが伝わってきますから。レイちゃんにも想いを寄せているようだけど、あれはどちらかというと兄弟愛みたいなものね。でも、アスカちゃんのことは、一人の女性として好きになっているみたいよ?」
「……そうか……」
「そうか、じゃありません。今からでもあの子に優しくしておかないと、余計にシンジに嫌われますよ?」
「……………………」
 先ほどまでとは違う沈黙。その時ゲンドウが抱いた思いを、彼は口にしなかった。

 その日、碇ゲンドウは初めて、有給休暇をとった。

 久しぶりの休日を、彼はのんびりと過ごした。二人で音楽を聴いたり、食事をしたり。
 時折、シンジのことについて口やかましく説教する以外は、ユイは昔のままだった。のんびりとして、穏やかで、笑顔が綺麗な。
 彼が愛した、ユイだった。

 そして夜。
「ねえ、ゲンドウさん」
「ん?何だ、ユイ」
 二人っきりなのだから、というゲンドウの願いをきいて、彼女は彼のことを、昔のように呼んだ。
「これで、いいと思っているの?」
「……何のことだ」
「こうして私が、ゲンドウさんの右手に宿っているような状況のことよ」
「………………」
 正直、彼にもわからなかった。世界を壊してでも、会いたいと願った女性。その彼女がここにいる、というのに、彼はどこか、虚ろなものを感じていたのだ。
「ゲンドウさんの心、当ててあげましょうか?」
「……何だ」
「私を、抱きしめたかったのでしょう?」
「………………」
「フフフ、赤くなった。そういう可愛いところは、以前と変わってないのね」
「……からかうな」
「からかってなんていないわ。安心したのよ」
「……………………」
「ねえ、ゲンドウさん
「……何だ」
「赤木ナオコ博士と、リッちゃんのことだけれど」
「!!」
「落ち着いて。あの二人のことについては、色々とゲンドウさんに言いたいことがあるけれど、今は別の話をするわ」
「………………」
「ゲンドウさんは、あの二人の体を、弄んだのでしょう?」
「………………」
「同じように、あの二人の心を弄んでいた。好きだったわけではないのでしょう?」
「ユイ、俺が愛しているのは……」
「言わないでッ!今は……聞きたくない」
「……………………」
「ゲンドウさんの私への気持ちは、痛いほどにわかっているつもりよ。でも……」
「……他人を利用するな、ということか?」
「それもあるけれど……ゲンドウさん。逆のことが、私に当てはまっていることに、気付いてる?」
「……逆?」
「そう。ゲンドウさんは、赤木博士とリッちゃんの体だけを愛して、心を愛していなかった。そして私のことは、心と魂だけを愛して、体を愛していない」
「そんなことはないっ!」
「でもそうなのよ。私の魂は、初号機の中に眠っていた。つまり、初号機の体は私の体のようなもの。それに、コアを傷つけないように細心の注意は払ってくれていたようだけど、初号機を戦闘に出して、私の魂を危険にさらしていた。ということは、私の魂も愛していない、ということかしら?」
「ユイ、私は……」
「わかっています。あなたがそうしなければならなかったということは。初号機を出さなければ、ゼーレがうるさかったでしょうから」
「……………………すまない……」
「いいの……少し、愚痴ってみたかっただけだったから……」
「……………………」
「ねえ、あなた」
「……何だ」
「今、私とあなたは、一つになっているわよね」
「…………ああ」
「わかってるの?これが、あなたの望んだ形の一つだということに」
「!!」
「人類補完計画……全ての人を、一つにするということ……そのために、あなたはサード・インパクトを起こそうとしている」
「そうだ……だが違うっ!私が一つにしたいのは、人の心だっ!」
「そうね。それは私もいつか、望んだことですもの。けれどね……今、こうやって一つの体になって考えてみたの。一つになることで幸せになれるのかしらって」
「体と心は違う」
「いいえ、同じよ。人はね、体だけでも、心だけでもダメなのよ。愛するという行為に、そのどちらが欠けていても、人は満たされない」
「そんなことは……」
「ええ。そんなことはないのかもしれない。亡き人を永遠に愛し続ける人もいる。愛に体の関係を求めない人だっている。でも、そんな人は多くはいない。少なくとも、あなたはそうだったでしょう?私がいなくなって、私の心を思い続けていても、赤木博士達の体を求めた」
「……………………」
「あなたはたとえ、私の心と一つになっても、きっと満たされることはないわ。だってそこに、私の体はないから。抱きしめることも、体を重ねることもできない。そのことにきっと、あなたは耐えられない。今だって、私がこうして姿を現していても、そう出来ないから満たされていないあなたがいる」
「…………ユイ、俺は……」
「あなたは不器用な人。とっても、不器用な人。だけど、誰よりも人間として生きているのよ。心だけでなく。体だけでなく。そのどちらをも、愛したいと願っているのよ」
「……ユイ……」
「心を一つにするだけでは、人は補完されないわ。いいえ、補完の必要なんて、人にはないの。今の、不完全な形こそが、私たちを唯一満たしてくれる形なのよ。確かに心が一つになれば、完全なる一つになれば、人は進化するかもしれない」
「………………」
「けれどね、人は心を一つにしなくても、通い合わせることは出来る。そのための言葉。そのための体。確かに、それはとても難しいこと。一人と、一人。その間で心を通い合わせることすら難しいのに、人類となれば、不可能にも思えてしまう」
「………………」
「だけど、可能性は0じゃない。それは、私たちの子供が証明してくれているじゃない」
「シンジが、か?」
「そう。オーナインシステムと呼ばれたエヴァのシステム。零に限りなく近い数字になるほど、動かすことが難しいエヴァを、あの子はたった一度で動かしてみせた」
「それは、君が……」
「確かに、私も力を貸したわ。でも、それはほんの一部。やりとげたのは、あの子よ」
「シンジが……」
「それに、天から降る使徒を受け止めるという作戦があったわよね?あれも成功確率は、ないに等しかった。それを成功させたのは、シンジとレイちゃん、そしてアスカちゃん。あの子達が互いを思い、心を通い合わせたからこそ、うまくいったとは思えなくて?」
「……確かに、な」
「常に、成功の確率は0じゃないのよ。ならば、人類が、今のまま心を通い合わせることも、不可能じゃない。そうでしょ?」
「……そうだな」
「ヒトが諦めるのは、まだ早すぎるわ。それに、私と心を一つにしても、あなたは決して満足しないことも、理解できたでしょう?」
「……ああ」
「もうわかっているわよね?私の言いたいこと。人類補完計画なんて、捨ててしまいなさい。ゼーレとも関係を切って、あの子達を利用するのもやめて。あなたなら……私が愛したゲンドウさんなら、それが出来るはずよ」
 穏やかな、それでいて強い意志のこもった眼差し。
 そうだ。
 ゲンドウは思う。
 こんな彼女だから、俺は心動かされたのだ、と。
「……ああ、わかったよ、ユイ」
 そして、彼は笑う。それを見て、ユイもまた。
「それでこそ、ゲンドウさんよ」
「すまなかった、ユイ」
「いいのよ……私は、あなたの、妻ですもの」
「……まだ、俺を夫だと思ってくれているのか……」
「当たり前よ。それはまあ、赤木博士やシンジ達のことで、色々言いたいことはありますけれどね」
「…………スマン」
「それは、私が帰ってこれたら、ということにしておきます。その時は……」
「ああ、覚悟しておこう」
「そうしておいて下さいな。いつになるか、わかりませんけれど、私はあなたの……ゲンドウさんの元に帰りますから」
 ユイの体が、白い光に包まれていく。ぼやけていく彼女を見ながら、彼は微笑む。
「もう、行くのか」
「そろそろ時間ですから」
「待っている。ユイ」
「ええ。また、会いましょう。必ず」


「という夢を見た」
「それで髭を剃ったというわけか……」
 NERV司令室。話し終えたゲンドウに、冬月が返した言葉はそれだった。多少、呆れているらしい。
「それで?どうするのだ」
「たとえ夢であろうと、ユイの望んだことだ。人類補完計画は破棄する。ゼーレとも、手を切ろう」
「まあ、今ならまだ、可能だろうがな」
「……すいません。冬月先生」
「気にするな。私はお前に従おう」
 律儀に立ち上がって頭を下げるゲンドウに驚きながらも、冬月ははっきりと答えた。
「これから、忙しくなるな。それにしても、お前の口癖が聞けなくなるのは、少し寂しい気もするぞ」
「口癖?」
「『全てはシナリオ通りだ』……これのことだよ」
「所詮、人の生き方に、シナリオなどなかった……それだけのことです」
 彼の言葉に改めて冬月は、ゲンドウを見つめ直す。いつもの、机に肘を突き、口の前で手を組むポーズ。
 だが彼の顔は、明らかに昨日までの彼とは違っていた。
 髭を剃り、サングラスを外した、というだけではない。
NERV総司令の顔ではなく。大学の教授時代に会った時の彼でもなく。
 それは、ゲンドウが碇ユイと結婚し、子供が生まれた時の。あの平和な、幸せな一時に彼が見せた顔に、そっくりだった。
(碇……そうか。今のお前には、ユイ君がいるのだな)
 一人、心の中で呟いて、冬月は自らの職務に戻ろうとする。
(やれやれ、気が重くなるな)
 だがそう思う彼の心は、言葉とは裏腹に、とても、軽くなっていた。


 一人、司令室に残るゲンドウ。
 彼もまた、なさねばならぬことの多さを知っていた。

 全てのシナリオを破棄し、ゼーレに反旗を翻す。老人達は、大いに混乱し、反発することだろう。突然に、態度が全く、正反対に変わるのだから。おそらく、全力をもって、彼を潰そうとするだろう。戦うには、相手の力が強すぎるとも思える。

 それと、赤木リツコとの関係を清算すること。許される、とは思わない。自らの所業を考えれば。都合のいいように、彼女を弄んできた。そして、今、彼女との関係を断とうとすることもまた、彼のエゴなのだから。

そして、シンジやレイ、アスカのこと。彼らにも、自分を許してもらえるとは思っていない。

 シンジには、親子だから、などと言う甘い期待は抱いていない。親であることを放棄してきたのは、自分なのだから。都合のいい時ばかり、親子の関係をちらつかせてきていたが、それは彼がシンジを利用しようとしている時だけだった。全てを知れば、憎まれても仕方がない、そう思える。

 レイも、そうだ。これまで、自分の道具として育ててきた少女。例え彼が懺悔したところで、きっとレイは何も言わないだろう。そう育てたのは、彼自身だったから。だが彼女はいつか、彼が為したことの意味を知るだろう。その時、彼女が、自分のことをどう思うか。

 アスカについても、同じこと。ユイが彼女の事に言及した時、彼は、人類が補完されれば、シンジに嫌われたところでかまわない、という気持ちがあった。だが、彼は全ての計画を捨てることを決意した。彼女はもう、自分の駒でも、シンジの代わりでもない。一人の人間だ。さらには、たった一人の息子、自分とユイとの間に生まれた命、シンジが愛する少女なのだ。

 
 為すことは多く、そのどれもが、大変な苦労を伴うことだった。
 だが。
 碇ゲンドウという男は。
 愛する女に会うために、世界を壊しても構わないと思い、自らの全てを賭すことが出来る男だった。
 その、同じ男が。
愛する女の願いのために、全てを取り戻そうと誓ったのだ。
どうして、出来ないことがあるだろうか?


 それに、彼は一人ではなかった。
 彼は、感じたのだ。
 夢から目覚めた時に、頬をつたった涙。それをぬぐう見えざる手があったことを。
 たとえ、その姿を目にすることができなくとも。
 自分の側に、確かに、愛する女がいる。
 そう、信じられるのだから。


 そして、世界が、動き出そうとしていた。
 碇ゲンドウという、男を中心にして。


      おまけ

 NERV総司令室。対ゼーレの作戦を練っていたゲンドウと冬月は、さすがに疲れが出たのか、一服することにした。
 その席で、ふと、ゲンドウは疑問に思い、冬月に尋ねる。
「そういえば、冬月先生」
「何だ、碇」
「私の夢ごときの話で、この大変なことを、よく納得していただけましたね」
「………………」
 自分も似たような夢を見たからだ、などということは、口が裂けても言えない冬月だった。



<後書き>

 見ての通り、LASサイトでゲンドウネタという無謀極まりない試みでした。受け入れて下さったドラえぽん様の太っ腹ぶりに感謝いたします。
 この作品を読まれたドラえぽん様が、以下のようなコメントを書いて下さいました。
>冬月いい味だしてますね。ちょっと冬月の夢も見てみたいなあ。
 そう言われては作者としては、見せてあげたいではありませんか。
 ない知恵を振り絞って、ガラガラ猿は考えました。
「冬月の夢……どんな夢がいいかな?そもそも冬月って、どんなキャラだ?あの戦いの中、何を考えていたんだろう?」
 そしてひねり出したのが、以下の作品です。

『母なる者よ、我が子らにその願いを伝えん』


うーん、面白い。ドラえぽんの無茶苦茶なネタ振りからこんな斬新なお話を書いて頂けるとは。すげー
こういうお話を読むと、あの人類補完計画、全ての人間を一つにする計画は人類の進化ではなく、退化の極地だとハッキリ分かります。
人間は何かを失った状態で生まれてくるような気がします。だからこそ、足りない物を埋めてくれる自分の半身を一生かけて探しだそうと努力します。なにかが足りないのは、人類が不完全なのはそれが退化ではなく実は進化だったからかな、と思いました。足りない何かを求める努力、それこそが進化の本質なのではないでしょうか。

さあ、右手左手シリーズはこれから完結が近づくにつれてどんどん面白くなってきますよ〜。
次回のお話も楽しみですね(^ ^

さあ、早く続き読みて〜ヽ(。>∀<)ノうひょう!という方はガラガラ猿さんに是非ともご感想を!
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