僕は、とても困っていた。
原因は、僕を挟んで、にらみ合っている二人の少女。
別に、修羅場ってわけじゃないよ。そんな器用なこと、僕に出来るわけないんだから。
「はぁ……」
思わず、ため息が出ちゃう。
どうしたらいいんだよ。この状況。
金に近い紅茶色の髪。深い蒼の瞳。鼻筋が通った顔。水色のキャミソールに、七分丈のジーンズ。
片方を説明したわけじゃない。二人ともを、説明したんだ。
まったく、どこからどう見ても、同じ顔に、同じ格好。
何だか悪い夢でも見てるみたいだ。
アスカが、二人いるなんて……
|
「ドッペルゲンガー、ってやつですね」
そう言い出したのは、オペレーターの日向さんだった。
ドッペルゲンガー?
「ドッペルゲンガーって言うのはね、ドイツの、まあ妖怪かな」
怪訝そうな顔をしてる僕に気付いたのか、日向さんが教えてくれた。
「簡単に言えば、ある人にそっくりの分身のことだよ。それで、本体の前に姿を現すんだ」
「そんな妖怪がいるんですか?」
変なこと知ってるなぁ。
「結構、有名だよ。かのリンカーンも見た、っていう伝説も残っているし。ただね……」
日向さんは、そこで顔を歪ませる。
「言いにくいことなんだけど……このドッペルゲンガーを見た人は……数日以内に死ぬんだ」
!!
「それ、どういうことですかっ!?」
「そういう伝承が残っている、っていうだけだよ。さっきも言ったけど、リンカーンも、自分のドッペルゲンガーを見た直後に、殺されてるんだ」
日向さんの顔は、すごく暗くなってた。
その後も、何か言ってたみたいだけど……僕には聞こえなかった。
そんな……アスカが……死ぬ……?
僕は呆然とするしかなかった……
「ドッペルゲンガー?やめてよ、そんな非科学的な」
そう言ったのは、リツコさんだった。
「妖怪だの、お化けだの、幽霊だの、そんなの迷信よ。日向君のたわ言なんて、信じることないわ、シンジ君」
「たわ言……ですか?」
「そうよ。二人いるから、ドッペルゲンガーだなんて、頭が古い人間の言うことね。今は科学の時代よ」
妙に力説するリツコさん。確かに、科学者としては、そう言ったことは認めたくないのかな。
「でも、ドッペルゲンガーってドイツの妖怪なんですよね。もしかしたら、ドイツで……」
「あら、そんなことないわよ。ドッペルゲンガーは世界各国で見られてるわ。中国の古い書物にも書かれているし、日本にだって、その手の伝承があるから、一概にドイツ産の妖怪とは……」
徐々に小さくなる声。額に浮かんだ汗を、僕は見逃さなかった。
「……よく知ってますね、リツコさん」
「ま、まあ、この程度のこと常識よ、常識」
言いながら視線をそらし、明後日の方を見ているリツコさん。
「……ありがとうございます」
僕は、頭を下げる。リツコさんの思いやりに気付いたから。
ドッペルゲンガーと会うことで、数日中に命を落とすという伝説のことも、リツコさんは知ってたんだろう。だから、否定することで、僕の不安を消そうとしてくれたんだ。
「……いいのよ」
こっちを向こうとしないリツコさんの横顔は、少しだけ、赤くなっていた。
不器用な優しさに、何だか嬉しくなる。
昔の僕なら、気付かなかっただろう、こんな形の優しさには。
それを教えてくれたのが、アスカだった。
思い出す。彼女とのこれまでの日々のことを。
格闘訓練や、シンクロテストなんかに付いていけない僕が、落ち込みそうになった時、怒りながらも、欠点を指摘したり、どうすればいいか示唆してくれたりした。
学校で、苦手の英語で指されて困ってても助けてくれないけれど、後からしっかりと、教えてくれた。
いつか、NERVの訓練で、僕が疲れて帰ってきた時なんて、キッチンに食事が用意されてたこともあったっけ。暖めて食べながら、嬉しくて、何だか泣きそうだった。
でも、少しでも彼女に甘えようとすれば、容赦なく叩きのめされた。多分、僕がアスカに頼りっきりになって、自分一人では何も出来ない、そんな人間にならないように。
傍から見てたら、激情家で、冷たく見られることもあるアスカだけど。
本当は、とても優しい子なんだ。ただ、それを素直に表せないだけで。
そのことを、僕は知っている。
アスカ達は今、NERVに用意された、それぞれの個室にいる。
僕を含め、誰にもどちらが本物か、わからなかった。
ただ、これまでのことから考えて、偽者の方のアスカの性格は、かなり悪いということははっきりとしている。野放しにしておけば、また問題を起こすだろう。そうなれば、NERVの責任問題にもなりかねない。
協議の結果、取られた手段が、両方を拘束するということ。
どちらが本物か、はっきりと判別出来るようになるまでの、一時的な措置として。
二人とも、最初は相手が偽者だって言って抵抗したけれど、そのうちおとなしくなって、今は言われるがまま、部屋に篭っている。
「……これが、報告書です」
マヤさんが持ってきた書類の束を、リツコさんが受け取って見ている。その顔色はすぐれない。渡した方のマヤさんも、困ったような表情。
「完璧に、同じとはね。MAGIの見解は?」
「同一人物であることに、間違いないと」
「ちょっと、どういうことなのよ?」
僕と一緒に、話を聞いていたミサトさんが、声をかける。
「DNA鑑定よ。二人のアスカのものを比べてみたんだけど、どちらも一緒なの」
リツコさんが、眉をひそめながら、データを指し示す。
「それって……」
「可能性が一つ、消えたわね。新たなる使徒、というわけではないわ」
「リツコ」
ミサトさんが、咎めるような視線でリツコさんを見た。
「……ごめんなさい。悪い冗談だったわ」
素直に謝る彼女の視線は、僕を捉えていた。僕の気持ちを慮ってくれたのだろう。
「指紋、声紋、DNA鑑定……ありとあらゆる個人を判別する手段を取ってみたわ……でも、どれも無駄だった」
こんなことで、科学の限界を思い知らされるなんてね。
そう言ったリツコさんの顔は、苦渋に歪んでいて、見るのが悪い気がした僕は目をそらす。
「クローンという可能性は?」
彼女の側によって、小さな声で囁くミサトさん。ちらちらと見てくるので、僕はマヤさんと話して聞こえないふりをする。だけど、意識はそちらに向いたまま。
「ドイツ支部で昔、何かあったとか……今になって、揺さぶりをかけてきたのかもしれないし」
ミサトさんの話は、正確にはよくわからなかった。
ただ、ここNERV本部と、ドイツ支部が、あまり仲が良くないらしいことは、アスカから聞かされたことがある。セカンド・チルドレンのアスカと、エヴァ弐号機を本部に渡すことを、ドイツ支部は渋ったそうで、それから色々とゴチャゴチャと揉めた経緯があるとか。
変な話だ、と思う。使徒を倒さなければ、人類の未来はない、なんて言いながら、仲間割れしてるなんてね。子供の頃に見たアニメや特撮で、敵の組織が仲間割れをして、結局、自滅していく姿に重なるなぁ。
それはともかく、ミサトさんが言っているのは、アスカのクローンがドイツ支部で作られていたのでは、ということだろう。
本当だとしたら、ひどい話だと思う。どっちが本物かわからないけれど、アスカの動揺っぷりを見ると、そんなことは聞いていないのだろう。
自分の知らないところで、もう一人の自分が生きている……想像すると、すごく気持ち悪い。
「いえ、それはないわね」
僕の思いが通じた、というわけではないだろうけれど、リツコさんは言下に否定した。
「そんなことをすれば、どこかから情報が漏れてただろうし、そうなればこっちも黙っていないわ。それに、クローンだとしても、記憶までは複写出来ない。彼女に、いくつか質問をしてみたけれど、どちらも同じ答えを返してきたわ。ご丁寧に、内容も筆跡まで一緒なのよ」
「諜報員によって調べられていた、という可能性は?」
「そんな諜報員がいたという痕跡はなかったし、それにね、ミサトが二ヶ月前に酔っ払って帰ってきた後、シンジ君にちょっかいを出して、そのことに怒ったアスカが貴方にボストン・ハーフクラブをかけた、なんてしょうもない話を、一々調べるような奴がいると思う?」
そういえばそんなことがあったなぁ。あの時は、ミサトさんがギブしてもやめなくて、僕がやっとの思いで止めたんだっけ。でもあの時、何でアスカは怒ってたんだろう?
「……何であんたが、んなこと知ってんのよ」
「前にアスカ本人から聞いたのよ。ミサトの酒乱をどうにかしてくれ、ってね」
何だかブツブツと言っているミサトさんを尻目に、リツコさんはまた、手元の資料に目をやる。
「クローンの可能性もない……記憶まで、ほとんど一緒……」
「あの、先輩。アスカちゃんが、NERVに閉じ込められていた時のことを聞いては?」
秘密の話が終わったことを感じたのだろう、マヤさんがリツコさんに近づいて、そう提言する。
「それも試したわ。NERVで、アスカの取った行動に関する質問をね……でも、ダメだった」
「じゃあ、その間の記憶も、まるっきり一緒だった、と?」
マヤさんが驚いて言う。僕も、それは初耳だ。
「そうね……もしかしたら、今、この瞬間も、記憶を共有しているのかもしれないわね」
言いながらも、リツコさんはそのことを信じ切れていないようだ。確かに、普通の科学では、そんなこと考えられないだろう。もっとも、エヴァに関わってると、普通の科学、ってのが、何だかバカらしく見えることもあるんだろうけど。
ともかく、リツコさんが言うとおり、記憶を共有しているのだとしたら、どうしようもない。記憶から二人を判別することは、不可能、ということか。
それにしても……自分の記憶を、分身とは言え、他の人に知られるなんて……
「性格は?性格は違うんですよね。本物と、偽者とじゃ」
「やってみたわよ。でもね……」
マヤさんの次の提案にも、リツコさんは首を振った。
「心理テストもしてみたのよ。けど、本物のアスカが、おしとやかな女性であれば問題なかったんだけど……」
おしとやかなアスカ……ちょっと想像つかないなぁ。でも、それがどう関係あるんだろう?
「本物も偽者も、どちらも攻撃的な性格でしょう?確かに、偽者のアスカが行ったことは犯罪だけれど、本物のアスカだって、そういったことをする可能性はあるわけよ」
「そんな!!アスカはそんな子じゃっ!!」
「わかってるわ。シンジ君。でもね、テストじゃそこまではわからないの。つまり、どちらが偽者かわからないけれど、二人の性格はほぼ一緒。もっと正確に言えば、偽者は確かに、本物よりも攻撃的なのかもしれないけれど、それも誤差の範囲内にとどまっているのよ」
人の心の全てがわかるわけではないから、大雑把にしか結果が出せないのよ。
そう続けたリツコさんの言い方は、何だか投げやりだった。ほとんど、お手上げ、ということなのだろうか。
確かにそれなら、アスカがおしとやかな性格であれば、違いがはっきりとしたことだろう。
でも、そんなのアスカじゃないと思う。アスカはいつでも活発で、自信満々で、だからこそ、あんなに輝いているのだと思う。
それに……
はっきりとは言えないけれど、もし、アスカがおしとやかな性格だったとしても、偽者はそれに合わせた方法で、悪いことをしてたと思う。
根拠があるわけじゃなかったけれど、そんな感じがするんだ。
「正直、この方法はとりたくなかったけれど……」
ふと見ると、リツコさんが僕の方をじっと見ていた。
「シンジ君、お願いがあるんだけれど……いいかしら?」
「僕に出来ることなら、何でもします」
珍しく強い口調になった僕に、リツコさん達は少し驚いたみたいだった。
でも、当たり前じゃないか。
本物のアスカが戻ってくるなら、僕は何だってするよ。
「……そう言ってくれると、助かるわ。それじゃ、内容なんだけれど……」
「嫌よ!!絶対に嫌!!」
「そうよ!!何でそんなことしなきゃいけないのよっ!!」
リツコさんから話を聞かされた、二人のアスカは、同じように拒否して見せた。顔を怒りに染めて、リツコさんに食ってかかっている。
「嫌と言っても、やってもらうわ。これは命令よ」
リツコさんは、この反応を想像していたのか、無表情のまま答える。怜悧な顔に、付け入る隙はないようだ。
「命令だからって!!アタシのエヴァに、他の誰かを乗せるなんて、許せないわっ!!」
「そうよっ!!いくらどっちが本物かわからないからって、何でそこまでしなきゃならないのよっ!!」
そう言う二人の様子は、本当に、鏡に映したように同じものだった。見ている僕にも、どちらが本物かなんて、わからない。
「拒否は認めません。あくまで乗りたくないと言うのなら、そちらを偽者と断定します。それでもいいのかしら?」
リツコさんの言葉に、二人はいっぺんに黙ってしまう。
計画とは、二人のアスカを、一人ずつエヴァ弐号機に乗せるというもの。
いくら偽者とは言え、エヴァにシンクロすることは出来ないかもしれない、というリツコさんの発案によるものだった。
僕が果たす役割は、弐号機の牽制。
仮に、偽者がエヴァを起動させることが可能だった場合。エヴァ弐号機を乗っ取ることが、偽者の目的だったとしたら、大変なことになる。基地内で暴れられでもしたら、大変だ。
もしそうなったら、初号機で弐号機を抑えることになる。もちろん、それだけじゃなく、内蔵電源はあらかじめ削られて、もって約一分にされているし、LCLの圧力を上げて失神させることも考えられている。
二重三重の予防をした上で、この実験は敢行される。
「……わかったわよ。乗るわよ、乗ればいいんでしょう?」
「そうね。本物がどちらかわかるんだから、ちょっとぐらい我慢してあげるわよ」
言ったアスカを、言われたアスカが睨む。
「そっちこそ、化けの皮がはがれるんだもの。ざまぁ見ろよねっ!!」
「あら?アタシは本物よ?そっちが偽者なんだから、精々頑張りなさいよっ!!」
「アタシが本物のアスカよっ!!」
「本物はアタシだって言ってるでしょっ!!」
「どっちでもいいから、早く準備しなさいっ!!」
危うく取っ組み合いの喧嘩になりそうになった二人のアスカを、リツコさんの一喝が止めた。
にらみ合いながらも、ミサトさん達に連れられて更衣室に向かうアスカ達。
「……それじゃ、シンジ君。お願いね」
「はい」
大きく一つため息をついて言うリツコさんに、僕は頷いて部屋を出ようとする。
「……この分だと、うまくいかなさそうね……」
リツコさんにしては珍しい、弱気な呟きを、耳にしながら。
そして始まった実験。
結論から言うと、失敗だった。
どちらのアスカも、弐号機を機動させることが出来た。
そして、様々な予防措置は、全く役に立たなかった。
だって、どちらのアスカも、何も行動を起こそうとはせず、おとなしいままだったから。
後で聞いた話だと、リツコさんとしては、起動出来ることは、予測の範囲内だったらしい。
その上で、行動を起してもらった方が良かったようだ。そうすれば、どちらが偽者か、はっきりとわかるのだから。
だが、計画は空振りに終わった。尻尾を見せなかった、ということは、エヴァ弐号機の奪取が目的ではない、ということ。
「それがわかっただけでも、収穫ね」
リツコさんの言葉は、僕が聞いても、負け惜しみでしかなかった。
翌朝。僕はNERVに仮眠室を借りて、一晩泊まっていた。
「おはようございます、ミサトさん、リツコさん」
早朝に呼び出され、僕は眠い目をこすりながら、リツコさんの部屋へと向かう。正直、昨日はあまりよく眠れなかった。
「おはよう、シンジ君」
「おはよう、シンちゃん」
迎えてくれた二人も、赤い目をしている。多分、遅くまで話し合っていたのだろう。アスカのことについて。
「さっそくだけれど、これを聞いてくれるかしら?」
難しい顔をしているミサトさん。そう言えばこの頃、笑った顔を見ていない。それだけ、アスカのことを心配しているということかな。
そんなことを思いながら、僕はリツコさんが再生した音声データを聞いて、愕然としてしまった。聞こえてくるのは、二人のアスカの声。
「随分とお疲れのようね?」
「ハッ。あの程度のことで、疲れたなんて言ってられないわよっ!!」
「あ〜ら、無理しちゃって。いい加減、諦めたら?誰もアンタが本物だって、気付いてないみたいだし?」
「くっ……!!」
「可愛そうね〜。まあ仕方がないわよね?アタシはアンタなんだから、誰にも区別が付かなくて当然だわ」
「……何が目的なのよッ?」
「そうねぇ。世界征服、なんてのもいいかもね?」
「ハッ。アンタ、正気?んなこと出来るわけないじゃない」
「そうでもないわよ?エヴァなんて面白いものがあるし」
「無理よ。エヴァは、そういうものじゃないわ」
「冗談よ。言ってみただけ。でも、アンタの能力を持ってすれば、出来ないことじゃないかもよ?世界を支配する女帝になるのだって」
「焚きつけてるつもり?そんなこと、したくもないわ」
「いいのよ。アンタには関係ない話ですもの」
「……?どういうことよ」
「わからない?アンタはね、もうすぐ死ぬのよ」
「……!!」
「ドッペルゲンガーの話ぐらい、聞いたことがあるでしょう?自分の分身を見た者は、数日以内に死ぬ……つまりアンタの命は、もうすぐ終わり、ってこと」
「……そんな……」
「まあ、アタシ次第と言えば、そうなんだけどね。それまでに、アタシとアンタ、どっちが本物かわかる奴がいれば、命を奪う必要もなくなるわけだし」
「……誰かが……わかってくれるわよ……」
「さあて、どうかしらね?」
そこでリツコさんが、再生を止めた。
「これって、どこで?」
「昨日の更衣室」
短く答えるリツコさん。だいぶ疲れてるのだろう。目の下に隈が出来ている。
確かに昨日、アスカ達が二人っきりになったのと言えば、その時ぐらいだ。
「画像データとかは……?」
「ダメだったわ。カメラが故障してね」
更衣室にカメラがあったのか、という疑問はさておき、そんなに都合よく壊れるものなのだろうか。NERVのものは、全て最先端の技術を用いていて、MAGIによる管理もされているはずなんだけど。
そんな僕の疑問を見て取ったのだろう。リツコさんが自嘲気味に答える。
「どうやら、そういった能力も持っているみたいね、あのドッペルゲンガーは」
「弄んでいるのよ、私たちを」
悔しそうにするミサトさんを見て、僕は何も言えなくなる。確かに、音声データだけを残して聞かせたのも、混乱させるためなのだろう。
「ともかく、これでわかったことがあるわ。認めたくないけれど、偽者はドッペルゲンガー、なんていう妖怪だということ」
人差し指を立てるリツコさん。その声は、かなり嫌そうだった。妖怪、なんてものの存在を認めるのが、苦痛なんだろう。
「もう一つは……偽者は、かなり危険だということ」
何を考えているのか、はっきりとわかったわけではないけれど、僕も、偽者の声に、邪悪な意思のようなものを感じた。
偽者のアスカは、今の状況を楽しんでいるのだろう。本物のアスカだけでなく、僕達、周囲の人間を追い詰めようとしている。
世界征服は冗談にしても、何かを企んでいたとしてもおかしくはない。今はただ、混乱を楽しみ、やってることも大したことではないけれど、それがエスカレートしたとしたら……
「シンちゃん、顔色が悪いわよ。ちょっと休んだら?」
考えているうちに気持ち悪くなった僕に、優しい声をかけてくれるミサトさん。
「そうよ、シンジ君。後は私達に任せて、もうちょっと寝てなさい」
リツコさんもそう言ってくれたので、好意に甘えさせてもらうことにする。
「すいません、ミサトさん、リツコさん」
「いいのよ。悪かったわね。朝早くに起こして」
扉が閉まる瞬間、二人の小声での会話が聞こえた。
「聞かせられないわね、あれ」
「そうね……」
何のことだかわからなかったけれど、僕は、問い直す気力もなく、フラフラと部屋に戻ったのだった。
後で、二人が言っていた、その後のアスカ達の会話の内容を聞かされて、赤面することになったのだけれど。
「……誰かが……わかってくれるわよ……」
「さあて、どうかしらね?シンジだって、わかってないみたいじゃない?」
「!!」
「彼、可愛い顔してるわよね?結構、好みだわ」
「……何、言ってるのよッ!!」
「アンタが死んだら、アタシがシンジをもらってあげるから」
「そんなこと、させないわっ!!シンジはアタシのものよっ!!」
「いくら言っても、死人に口なし、よね。アイツ、優しいみたいだから、ちょっと色仕掛けすれば、きっところって落ちるわよ」
「そんなことないっ!!」
「あ〜ら、したこともないのに、どうしてわかるのかしら?」
「…………」
「アンタは死ぬ。残されたアタシが、シンジを落として、骨抜きにしてあげるわ」
「……シンジ……」
「だから……安心して、死んじゃいなさいよ?」
のっぴきならない状況に陥ってしまった僕達。
どうにかして、どちらが本物のアスカか、ということを見分けなければいけない。
ということで、アスカを良く知る人達が集められて、それぞれに試してみることになった。その中には、トウジやケンスケ、委員長もいる。
「ほんま、ごっつそっくりやなぁ」
「ホントに……」
放心して言うトウジと委員長。
僕は、集められた人の視線を一身に浴びる二人のアスカに目をやる。
どちらが本物なのか、全くわからない。でも、どちらかは偽者であり、邪悪な意思を持っている。
そして、それを見分けられなければ、本物のアスカは死んでしまう……
この試みで、見分けられることを、僕は必死に祈っていた。
「結局、誰も見分けられなかったわね……」
ポツリ、とリツコさんが言った。
そう。たくさんの人が集まったのだけれど、誰にもどちらが本物か、言い切ることは出来なかったのだ。
万策、尽きたのだ。
「どうするの?リツコ」
物憂げに問うミサトさん。精神的な疲労が激しいようだ。
「……とりあえず、アスカのパイロットの資格を剥奪するしかないわね……」
何も言わずに睨み合っている二人のアスカに聞こえないよう、小声で言うリツコさん。
そんな……アスカがエヴァのパイロットでなくなっちゃうなんて……
「……そうね……片方が死んでも、それが本物だという証拠はないわけなんだけど……」
不思議そうな目で見る僕に、ミサトさんが説明してくれる。
ドッペルゲンガーは確かに、数日以内に、本物が死ぬ、と言った。だがそれが、本当なのかどうかはわからない。生き残った方が、偽者だと言い切ることは出来ないのだ。
それはありえない話ではない。ドッペルゲンガーは、状況を混乱させることを楽しんでいる。本物を殺す、と宣言しておいて、自分が消えてしまう、ということもありうる。
だから、もし片方が消えたとしても、僕達はアスカに手出しは出来ない。殺すことなんて、出来やしないのだ。
とはいえ、本物か偽者かわからない以上、エヴァに乗せることは危険すぎる。だから、アスカをエヴァから降ろすしかない……
「だから、本物のアスカには悪いけれど……エヴァのパイロットを、諦めてもらうしかないわね」
僕は、何も言えなかった。
もしかしたら、ドッペルゲンガーの狙いは、これだったのかもしれない。
アスカにとって、エヴァのパイロットであることは、とても大切なことだ。それを奪われるということは、他の何よりも、彼女にとって辛いことだろう。
そんなことになれば、どうなるか……僕には想像もつかなかった。
「……言いづらいなら私が言うわよ、ミサト?」
「……大丈夫よ……」
ミサトさんが立ち上がり、二人に近づこうとした瞬間。
僕は、心を決めた。
「ミサトさん……僕、やってみたいことがあるんですけれど……」
二人の視線が、僕の方を向く。
「……何か、考えがあるの?」
「……それで、どうなるかわかりませんけれど……やってみたいと思います」
僕の顔に浮かぶ強い意志に、何かを言いかけたリツコさんが、口を閉ざす。
「わかったわ。シンちゃん。あなたに、任せるわ」
「はい……」
まだ睨み合っていた二人に、僕は近づいていく。集まっていた人達の視線を浴びながら。
「あの……アスカ……」
ゆっくりとこちらを向く二人のアスカ。その目に、懇願の色が浮かんでいる。
「シンジ!!アンタならアタシが本物だってわかるわよね?」
「違うわ、アタシが本物よ、シンジ」
言い募ろうとする二人の声を、手を上げて止める僕。
ゆっくりと息を吸う。皆が見ているのが恥ずかしいけれど……ここで、言わないわけにはいかないのだ。
「アスカ……僕の質問に答えてくれる?」
『何よ?』
声を揃えて、尋ね返してくる二人のアスカ。
もう一度、深呼吸して、僕は言った。
「アスカ。僕とキスした日がいつだったか、覚えてる?」
「アンタのママの命日よ」
そう答えたのは、片方だけだった。
「………………」
もう一人のアスカは、顔を青ざめさせて黙っている。自然と、そちらに向く皆の顔。答えた方のアスカも、勝ち誇ったように彼女を見ている。
だけど、まだだ。もう一押し、しないといけない。
僕は言葉を続ける。
「ずっと黙ってたけれど……僕、アスカのこと、好きだったんだ」
「嬉しいっ!!アタシも、アンタのことが好きよっ!!シンジッ!!」
さっき答えた方と同じアスカが、僕に抱きついてきた。
周りで見ていた皆が、唖然として僕達を見ている。正直、かなり恥ずかしい。
「ハッ!!これで、偽者はどっちかわかったでしょっ!?」
指を、残された方のアスカに向けて、大声で叫ぶアスカ。その顔に浮かぶのは、確かに勝利の笑み。
抱き合う僕らを見ているアスカは、もう顔面蒼白になっている。体が震えているのは、恐怖から、か。
「そうだね、はっきりとわかったよ」
用意されていた手錠を取り出す僕を見て、さらに血の気の引いていくアスカ。
「……そ、そんな……シンジ、待って……」
「聞くことないわよ、シンジっ!」
後ずさる彼女を追い詰めるように迫るアスカ。周りで見ていた人達も、気を取り直したのか、輪を縮めていき、逃げ場をなくそうとする。
「や、やめてよ、シンジっ!みんなっ!!」
カチャッ
「…………え?」
声を上げたのは。
僕が手錠をかけたのは。
抱きついてきた方の、アスカだった。
「君が偽者なんだ……そうだろう?」
「ど、どうしてわかっ……」
慌てて口を閉じるけれど、もう遅い。皆、はっきりと聞いてしまった。
彼女の自白を。
もっとも、みんな、不思議そうな顔をしているけれど。本物のアスカでさえ。
「くっ!!」
咄嗟に逃げ出そうとした偽者アスカ。しかし、囲まれているから逃げ場がない。何人か突き飛ばして、脱出しようとしたんだけれど、
「大人しくなさいっ!!」
ミサトさんが組み敷いてしまった。さすがは、軍事訓練を受けてるだけあるなぁ。
手錠をかけられてたから、偽者アスカもさして抵抗は出来なかったみたいだけど。
それでも暴れる偽者アスカに、リツコさんが注射器を首筋にあてて押し込むと、すぐに動かなくなった。
大丈夫かな……?変なクスリじゃないといいんだけど。
心配する必要なんてないのかもしれないけれど、やっぱり外見は同じアスカなんだもの。あまりひどい目に遭わせたくはないんだよね。
「ええと……シンちゃん?」
日向さん達が偽者アスカをNERVに運んでいった後、ミサトさんが僕に近づいてきて、問いかける。
「どうして、シンちゃんは、あっちが偽者だってわかったの?」
多分、その問いは、皆が考えていたことなのだろう。全員の視線がこちらに向いている。はっきりと、説明を求めていることが、その目からわかった。
「ええと……その……」
本物のアスカも、じっとこちらを見ている。
今になって、とっても恥ずかしくなってきた。自分がしでかしたこと、何を言ったかを思い出して……
でも、逃げちゃダメ、なんだろうなぁ。
「あ、あの……本物のアスカなら、こんな人前で、キスしたこと言われたりしたら、恥ずかしくて、素直に言うわけないだろうな、って、思ったんで……」
そう。たったそれだけのことだった。
本物のアスカが、キスしたことを、覚えてないはずはなかった。だからこそ、偽者はしっかりと答えたのだろう。
ただ、偽者は、本物と性格が少し違う。ならば、本物のアスカなら、恥ずかしさのあまり答えられないことも、言ってしまうのではないか。
それが僕が考えた突破口だった。
何しろ、アスカはプライドが高い。僕とキスした、なんてことを皆の前で言われて、答えられるはずがないんだ。何も言わないか、必死になって否定するだろう、と僕は踏んでいた。最悪、殴られることだってあるのでは、と思っていたぐらい。
そして、もう一つ。アスカはきっと、僕に好き、って言われても、応じるはずがないんだ。
だって、彼女が僕のことを、好きなはずない。だから、抱きついてきた方が、偽者だってわかったんだ。
「……アンタがアタシのこと、どう思ってたか、よ〜くわかったわ……」
低い声に、僕はおそるおそる振り向いた。
そこにいたのは……
怒りに肩を震わせるアスカだった。
「あ、いや、その……」
「……ま、今回だけは、見逃してあげるわ。アタシが本物だって、見抜いてくれたわけだし」
近づいてきて、にっこりと笑うアスカ。
僕は何故か、嫌な予感がして、逃げようとしたんだけど。
ガツンッ
「これで、勘弁しといたげる」
ひどいよ、アスカ。そんなに力を込めるなんて。
見ていた皆は、ちょっと唖然としてたけれど、やがて笑い出す。
僕もつられて、大声で笑い出した。
殴られた頭をさすりながら、僕は思う。
そうだよ。
やっぱり、アスカは、こうでなきゃ。
「ま、これで、一件落着したわけよね」
翌日、久しぶりに帰ってきたアスカと僕は、二人で買い物に出かけた。正確に言うと、引っ張り出されたんだけど。
アスカと一緒に帰ってきたミサトさんの顔は、何だかにやけていた。
「シンちゃ〜ん……」
「シンジッ!!買い物に行くわよッ!!」
何かを言いかけたミサトさんを見て、慌てて僕を外に連れ出したアスカ。訳もわからず外に出た僕を、ミサトさんの笑い声が追っかけてきたんだけど……何がおかしいんだろう?アスカも、顔を真っ赤にしてるし。
「方法はともかく、アンタだけね、アタシのことわかってくれたのは。それだけは、感謝してあげる」
買い物、って言ったけれど、アスカはデパートに向かう素振りは見せない。何故か、高台の公園に向かっている。
そういえば、ここで、僕は二人のアスカに会ったんだよなぁ。
今、公園には人影がない。いるのは、僕とアスカだけ。
「にしても、さ。偽者のアタシに抱きつかれて、ぐらっときたりしなかったの?」
アスカは外に出てからずっと、僕を一度も正面から見ようとしない。ただ前に立って歩いてて、時折、ちらりと僕がついてきてるのを確認しては、またそっぽを向いてしまっている。
「アスカは、今のままのアスカが一番いいよ」
僕は正直に答えた。
偽者アスカに抱きつかれて、ドキドキしなかったと言えば嘘になるけれど……僕が好きなアスカじゃない、って思ったら、何も感じなくなった。
………………
あれ?何か忘れてる気がするんだけど……
「素直なアタシじゃなくてもいいの?」
「え?う、うん」
思い出そうとしていた僕は、アスカの言葉の意味をよく考えもせずに、言葉を返す。
「そ。ありがと。じゃ、アタシも、アンタに答えなきゃね」
……答え?
唐突に僕は、思い出した。
そうだ!!昨日、僕は、アスカに『好き』って告白しちゃったんだった!!
どうしよう、その答え、ってこと……?
そんな……心の準備が出来てないよ……これからフラレルんだ、僕……
あれは本音だけど……でも、言うつもりはなくて……
……あれはただ、本物と偽者を区別しようとして言っただけで、アスカも、真剣には考えないで欲しい、って言おうかな……だけど、僕がアスカのことを好きなのは本当だし……
動揺する僕に、アスカはゆっくりと振り向いた。
その顔には、とっても綺麗な笑顔が溢れていて。
僕は、言葉を失ってしまった。
綺麗な唇が、言葉を紡ぎ出した……
「好きよ……バカシンジ……」
「……偽者だなっ!!お前!!」
「アタシは本物だぁっ!!」
終わり
<後書き>
どうも。立て続けに投稿して、ドラえぽん様のお仕事の邪魔をしているガラガラ猿でございます。このような形にまとまりました。
シンジ君がアスカ様を見分ける方法……悩んだんですが、結局、こんな形に。もっとうまい方法があるのかもしれませんが、思いつきませんでした。
なお、この後ももちろん、アスカ様は生きながらえます。ドッペルゲンガーの能力に関しては、まあ、ご都合主義ということで……元々、こういう妖怪ではありませんしね。
雰囲気を重視した結果、シリアス(?)なまま、まとまったわけですが……せっかく考えたネタ、放っておくのがもったいないので、使わせてもらったりします。というわけで、おまけがあるわけですよ。
おまけ
| 面白かった〜。悪意に満ちたドッペルアスカ様との対決。迫力ありましたね〜。 それにしても、ドッペルアスカ様にもゴロゴロしてしまうドラえぽんは病気でしょうかw シンジ君、流石ですね。恋愛感情以外はアスカ様の事をよく判っていらっしゃる。 ラストシーンも良いッスね〜。とてもこの二人らしくて思わずニヤリとしてしまいました(笑 リツコの使い方もウマイっすね。 それにしても、ドッペルアスカ様はこの後どうなるんでしょうね〜。すぐ消えちゃったんでしょうか。ちょっと気になりますね。ドッペルシンジ君まで登場してたりして(笑 さあ、すばらしい作品を書いてくれたガラガラ猿さんに是非ともご感想を! ガラガラ猿さんへのご感想はこちらへお願いします。 または感想掲示板へもお気軽にどうぞ。 ガラガラ猿さんにはまだまだ投稿掲示板へも作品を頂いております。こちらも要チェックです。 |
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