EXAMPLE FOR ・・・
Episode1 Tired Children
Author TAKA
アスカは溜息混じりにシートに座った。
いつもの強気の態度、自分というものを前面に押し出しているその雰囲気は相変わらずであったが、それでもどこか強いてそうしているように、沈み行く自分をそうさせないとしているかのように見えなくもない。
顔は上げられているが、その表情にはどこか翳りがあり、今の自分の状態を表に出さないとしているように固い顰められ気味のものになっている。
角の席に腰を降ろして自分を支えるように頬杖をつく。
シンジもその隣に遠すぎず、近すぎない間をおいて座った。
その時のシンジも冴えない表情をしていた。まあ、彼の場合はいつもの事かもしれないが。
ただ、シンジの面に現れているものもいつものそれとは違ったアスカと同様のものが漂っていた。
シンジもまた、アスカ程ではないにしろ少し俯き加減に小さく溜息を漏らす。
シンジ自身知ってか知らずか周りに自分のした事を示さないようにしたのはアスカに引け目を感じての事かもしれない。
自分も疲れているが、アスカはもっと疲れている。
その事はシンジにも分かっていた。それ故に自分自身の今感じているものを大仰に、おおっぴらにする事ができないでいた。
今シンジ自身が感じているもの、それはアスカと同種のものであったが、その度合いはアスカの方がより深く濃い。
シンジ自身、それを感じているものだからアスカに対して憚らずにはいられなかった。
そして、それと同時に自身と同種のものを抱えているアスカの心境が分かるような気がしていた。
アスカの見せている態度、その状態、それは仕方のない事というか当然の事のようにシンジには思えていた。
自分と同種のものを抱えながら、アスカの感じているものは自分のそれを上回って余りある。だからという訳でもないが、シンジは何となくアスカの事が気になっていた。
シンジ自身、アスカの様子を感じようとせずには、覗わずにはいられなかった。
チラチラと、自分ではさりげないつもりで、それを向けている対象であるアスカに気づかれないように視線を送っていたりもする。
アスカは頬杖をついたまま何も言わず睨むような目つきそのままに、シンジの方を見る事もなしに、自分に向けられてきているものに気付く事もなしに、不機嫌そうな表情をしたまま正面にある窓の外を流れていく風景へと見るとはなしに目を向けている。
閑散とした車内には二人の他に誰もいない。
人の気配のないそこには、僅かなモーターの駆動音だけが聞こえてきている。
向かい合わせに横に長く伸びているシートにシンジとアスカは二人きりで隣り合わせに座っている。
ほとんど振動のない車両に釣り下げられているつり革も列車が走り出してからはほとんど動いていない。
暮れなずむ黄昏の光が、窓から茜色の光彩を照らしこんできていた。
高速リニアトレインの中に、シンジとアスカの姿はあった。
ネルフでの用事を済ませシンジとアスカは一緒に帰ろうとしていた。
シンジはここ第三新東京市に呼ばれてから、アスカはドイツから日本に来てからこのような事は日常の事になっていた。
ネルフに行き、テストを受け、帰る。それは二人にとっての日常生活の一部となっていた。
エヴァンゲリオンと呼ばれる人の造りし人型のもの、兵器、その特殊性によりパイロットとなる者はごく限られた者しかいない。世界を見渡してもシンジとアスカを含む三人しか今のところは適格者として認められていない。
その為にただ操縦するだけでなく定期的にネルフへと赴きテストを受けなければならなかった。エヴァはその存在の特殊性故かそうした実験が必要であった。
適格者、チルドレンと呼ばれている操縦者達のテストも必要であった。そのためにも試験は行われていた。
そうした日々の繰り返しの中にシンジとアスカはいた。二人にとってのそれは他との日常とは違ったものであったが、二人自身の日常となっていた。特に意識すべき珍しいものではなかった。
同じ非日常の中の日常を過ごしている二人、そうであるからその行動もまた似たようなものになっていた。シンジはアスカと、アスカはシンジと一緒にいる事が多かった。
同じエヴァのパイロットであるという事情から居も同じにしている、互いの存在は常に傍にあるようになっていた。それもまた、シンジとアスカの日常となっていた。
そのような当り前になっている筈の事であったが、今の二人にはそれに対して、エヴァの事に関して疲れというか、厭う感じがないでもない。
特にアスカにはそれが顕著に現れていた。他者から見てもそれは明らかに見て取れたし雰囲気として感じる事もできる程にはっきりとしている。
何に対してであろうか、苛つき怒っている、そうとしかその表情と態度は現していなかった。不機嫌の極み、そんな感じを周囲に対して放っている。
シンジもそれは感じていた。感じているからこそ正面きってアスカの方を見る事もできずに、気付かれないように、自分ではさりげないように、覗うようにしかできないでいた。
シンジが何故そうしているのか、アスカが不機嫌でありその矛先を自分に向けられたくないと思っているのならば何もせずにいつものようにS-DATでも聞きながら自分の殻の中に閉じこもっていればいいのだろうが、今シンジはそうしてはいなかった。
その時シンジにはアスカの表に現れているもの、それが全てではないような気がしていた。ここ一週間程アスカと同じ時を過ごし、離れている時に自分は休む事ができていてもアスカはそうではないと分かっているから、そのせいかもしれなかった。
シンジには、今アスカが現しているもの、それは彼女がいつもの彼女ではない事の表れのように思えていた。
疲れている自分、それを現さないように、アスカはその逆を強いて自分にさせているようにシンジには思えていた。
そして、彼女がそれをしているという事は彼女自身の感じているものが相当に深いものであるようにも思えていた。そこまで彼女をしてさせる程にアスカの感じているものは深いものだと思わずにはいられなかった。
しかし、アスカが今不機嫌である事に変わりはない、その理由がどうであろうと。
結局、シンジは表だってアスカに自身の意を向けている事を現す事ができずにいた。それはシンジの弱さ、臆病さによるものであったが、それを求めるのはできもしない事を強要する愚かな為しように他ならないのであろうか。
シンジにできる事といえば、心中密かに、自身のしている事、その意としている事がアスカに悟られないように思いを向ける事、心配する事だけでしかなかった。
「(…アスカ、大丈夫かな)」
シンジは心の中と、表にははっきりとは出せない態度とでアスカの事を気遣う。
「(ここ二日、金曜日も含めると三日、僕もそれなりにキツかったけれども、アスカは一週間だもんな)」
シンジは、自分に対してはこの週末、金曜日も含めて三日間の事を、アスカに対しては週の始めから考えてほとんど丸々一週間の事を思い返していた。
「(理由は教えてくれなかったけれども、ミサトさんもリツコさんも急にどうしたっていうんだろう。いくらなんでも無理があるよ、こんなテストのスケジュールを組むだなんて)」
シンジ自身、ミサトから言い渡されたこの三日間のスケジュールには酷いものがあると、限度を超していると思わずにはいられなかった。
それを告げられた時シンジとしても思うところがないではなかったが、自分がここにいる、いられる理由を考えれば何を言う事も反駁をする事などできる筈もなかった。
実際のところ週末だからといって何をする予定がある訳でもなかったし、かえって時間をつぶす理由ができてそれはそれで特に構いはしなかったというか、良かったのかもしれないが、それでも疲れを感じないでいられるという事はなく、それが終わった今辟易しているというか、いささかうんざりしているといったところであった。
「(エヴァに乗る事、それは僕の義務、ここにいていい理由、テストを受ける事もそう。僕自身、それを嫌がるだなんて事はしないけれども、それでも今回のはちょっと行き過ぎだよ。エヴァに乗るだけでも、テストを受けるだけでも、僕ら自身消耗する事はミサトさんもリツコさんも分かっている筈なのに。僕なんかが思うまでもなく誰よりも良く知っている筈なのに)」
この時シンジは自身の感じている疲労からか心の中で普段は思わない、感じてはいても押し殺している疑問というか不満のようなものをそれを課してきた者達に対して思わずにはいられなかった。
身体の疲労は心にも影響を及ぼすというのは本当であったろうか、いかに頑なで自分の内に閉じこもりがちで自身の心を殻で覆う事に長けているシンジではあっても今この時は自身の感じるものを抑えきれずにいた。
「(今使徒にこられたらどうしようもないよ、乗れない訳じゃないけれども本当にそれだけになってしまう。満足に相手もできやしないよ、僕だって…)」
そこでシンジは自分と同じもう一人の、エヴァに乗る少女の事を思う。
「(…アスカだって)」
そう思いながら、先程からそうしているようにチラリとアスカに視線を送る。
「(…アスカ、本当に大丈夫かな)」
その時シンジが目にしたアスカは苛ついたようにして、頬杖をついているのとは逆の方の手を膝の上に置いてトントンと人差し指を打っていた。
時折、瞬きをしながら先程と変わらず窓の外に目を向けている。目つきが更に厳しくきつくなっているのはその機嫌が下降線を辿っているからだろうか。
アスカの表にはそんな他者から見て関わり合いになりたくないようなものが、はねつけるようなものが現されていた。しかし、その時シンジはアスカの事を気にせずにはいられなかった。
「(…アスカ、本当に疲れているみたい…)」
シンジには何故かそう思えていた、アスカの周囲に放っている強烈なまでの威圧的な雰囲気を感じているであろうにも関わらず。
アスカの事を思う上で、案じる上でその放っているものも間違いなくシンジ自身感じてはいた。しかし、それがシンジ自身の思うところになるまでに一つの緩衝を置く事ができていた。
だからそう思う事ができていた、伝えられてくるものをそのまま受け取るのではなく自分からその思いを、心を感じようとする事により現されているものの内に秘められているものを感じ取ることができていた。
今この時、シンジにそれができていたのはアスカと同じ辛さを感じているからであろうか、同じ疲れを感じているからであろうか。
同じ時を共有し、同じ事を傍にあってしてきたからであろうか…。
シンジは思う、アスカが今感じているものにどれだけのものがあるのだろうかと。
アスカよりも期間の短かった自分でもこうなのだから、その倍以上もの間拘束されていた、従事していたアスカの状態は本当に深いのものがあるのではないのかと思わずにはいられなかった。
「(…一週間もだもんな、ネルフに缶詰になって、テストの繰り返し、待機任務だから夜も満足に休む事もできずに…)」
シンジの表情には疲れ以外のものが漂い始めていた。
それは不安というか案じているもの、自身の心にいる存在を心配しているものに他ならなかった。
特にこの時、シンジの心は疲れからか余裕がなくなっていてそれが顕著に表されていた。図らずもそれはシンジの本当の心、それが露にされたものになっていた。
そんなシンジの心を知ってか知らずか、アスカは自身を保とうとしているのか張り詰めたような感じで、シンジには無理をしているように感じられる雰囲気で、シンジの隣で先程から変わらぬままでいる。
そんなアスカにシンジは瞳の色を深くしてより一層思い遣るように、心配するようにしてアスカの事を見つめる。
「(…アスカは本当に凄いと思う。僕だったらこなしきれたかどうか分からないのに、ちゃんと立派にやり通す事ができたんだもの)」
シンジは何を含むでもなくただ素直にそう思っていた。心から感心していた。
日頃から感じている羨望、憧憬の念を新たにしてもいた。やはり自分とアスカとはこうして傍にいるにせよ、住む世界が違うのだなと思いもしていた。
そんな自分が、住む世界が違うなどと思っている自分がアスカに対して今しているように気を遣うなど、必要の無い余計な事だとも思わずにはいられなかったが、そうせずにはいられなかった。
シンジは今この時ばかりは理屈ではなしに自分の感じたままの事をしていた。
「(…アスカ…無理しているんじゃないかな…)」
シンジはそう思わずにはいられない。
アスカの意地っ張りなところ、弱さを見せようとしない強気なところ、そうしたところがアスカをしてアスカ自身に今のようにさせているのではないのかと思えていた。
「(…あの時もそうだった、先週のちょうど今日、夕食の時にミサトさんに一週間のスケジュールを言い渡された時もアスカは、文句を言いはしたけれども、結局は従う事にしていた)」
アスカはその時お得意の、え〜、から始まる文句をそれを言い渡してきたミサトに対して言い放っていたが、それで決定事項が動く筈もなく、アスカはただそれに従う形となっていた。
アスカはその時言いたいだけの文句を並べ立てていたが、それが終わると後は何も言わずにそれ受け入れていた。シンジにもその矛先は向けられてきていたが、シンジ自身も週末からは本部に詰める事になっていると聞かされてはそれも納めるより他にはなかった。
それからアスカの機嫌は余り良くなかった。だからシンジとしてはほとんど関わり合いを持つ事はできなかったが、アスカが家を出ていく時に交わした短いやりとり、それが今になって少し気になっていた。
「(…僕はあの時…“早く帰ってきてね”って言った…)」
ミサトから通達を受けてから翌日までの間、一晩だけの時間、アスカは不機嫌なようにしていて、シンジはそんなアスカが気になりながらも触れ合う事ができなくて、迎えたその日、朝。
しばしの別れ、最後の触れ合い、一緒にとった朝食。でも、何も言えなくて、何をする事もできなくて。
それは玄関での短いやりとり、シンジ自身が学校に行く前に出て行くアスカを見送りに出て、一緒に行こうかと誘って別にいいと断られて、せめてもの事として自分が作ったお弁当を手渡しながら交わした言葉…。
「(…アスカは…“アンタ、バカァ?。アンタがこっちにくるんでしょうが”って言った…)」
シンジはその時の事を思い出していた。
アスカが自分に向けてきていた表情、それを心に描いていた。
「(…あの時のアスカの表情…不機嫌なようにしていて…でも…どこか微笑んでくれているような気がして…)」
しょうのないヤツ、そんな言葉が当てはまるような、そんな表情をアスカはその時していた。
シンジはその時の事を思い返して見て、今になってふと思う。
「(…僕は…もしかして…寂しかったのかな…)」
自分がアスカに送った見送りの言葉、それはシンジ自身その時には意識していなかったが、無意識の内に自分の感じていたものを現したものであったのであろうか。
「(…アスカは…そんな僕の気持ちを分かってくれていたのだろうか…だから…別れ際に…)」
アンタもさっさと来なさいよ、玄関から外に出て行きながらシンジに背を向けたまま、アスカは最後にその言葉を残していた。
その時のシンジにはそれに対して特に何を感じるものも思うところもなかったが、今にして思えばそれはアスカの自分に向けての精一杯の言葉ではなかったのだろうか、そんな気がしていた。
そして、その時に自分でも自覚できなかった思い、それと同じ思いをアスカもその時に感じていたのではないのかと、そんな風にもシンジには思えていた。
「(…アスカ…もしかして…僕とミサトさんと…一緒にいられなくなるのが嫌だったのかな…僕達の“家”にいられなくなるのが嫌だったのかな…)」
シンジはその時のアスカの様子を思い浮かべて今改めて自分自身で感じてみようとする。そうする事にどんな意味があるのかは分からなかったが、そうせずにはいられなかった。
少しでもアスカの気持ちを、その思いを感じたかった、アスカの事を気にせずにはいられなかった。だから、そうしていた。
「(…今にして思えば…あの時からアスカはどこか…辛そうにしていた…寂しそうにしていた…そうでなくても…アスカは意地っ張りだから…そんな自分を僕達に見せないようにしようとして…)」
不機嫌そうにしていたアスカ、今になってシンジにはそれがアスカの本当の心の裏返しではないのかと思えていた。
自分にも他人にも厳しいアスカ、シンジとしては時としてそれに反発を感じないでもなかったが、羨ましさというか眩しさのようなものを感じずにはいられなかった。
どこまでも毅然とした態度、そのありよう、シンジは自分がそうある事はできないと自覚してはいたが、敬意を払わずにはいられなかった、その為しようを尊重せずにもいられなかった。
ただ、とシンジは思う。
何故そこまで、と思わずにはいられない。
普段の生活の中で、特に何もない中でそうある事は別にいいと思う。そうある事、そうあろうとする事が別に悪い事であるとは思えない。自己の向上においてもある程度そうあるべきではないのかと思う、少なくとも自分と照らし合わせてみてシンジにはそう思えていた。
でも、今回のように辛い時に辛いと言えないようでは行き過ぎのような気がしていた。
こんな時にまでそうあろうとする事は余裕を失わさせ自分を追い詰める事になる。今のアスカは正にそうではないのかと、そうシンジには思えてならなかった。
自分が辛いと感じている事を、それを弱さとして隠そうとする事、それにどんな意味があるというのだろうか、シンジにはその辺りの事が理解できなかった。
アスカが何故そうしようとしているのか、そうしているのか、それが分からなかった。
アスカは自分のありよう、なしようを人に求めてくるような事はしないから、シンジとしては特にどうでもいいと言えばそれまでなのだが、気にせずにはいられなかった。
「(…テストの時もそうだった…この一週間、日を追うごとにアスカとの会話は少なくなっていって…)」
シンジは思いを馳せる、この一週間の事に。
本部で席を同じにした、一緒にテストを受けていた時の事を。その時のアスカと自分の事をシンジは心に思い浮かべていた。
「(…最初の日…学校が終わってネルフに行った時…アスカはもう疲れたようにしていて…)」
シンジがその日アスカと始めて会ったのは更衣室への通路の途中にある自販機コーナーであった。
その時アスカはベンチに腰かけて缶ジュースを片手に目を瞑っていた。
「(…寂しそうに…辛そうにしていたな…アスカ…疲れてもいたんだろうけれども…でも…それでも…)」
シンジが控えめに声をかけるとアスカは瞳を開いて、“遅いわよ、バカシンジ”と応えてきていた。
「(…翳りのある笑顔で…でも嬉しそうで…僕も嬉しくて…その日はテストが始まるまで…いつものように話しをする事ができたんだ…学校の事を話して…笑って…怒って…口ゲンカして…でも…僕は嬉しかった…アスカも…嬉しそうにしていた…)」
そして、行われた実験、テスト、それはいつもと違い夜遅くまでかけて二回に渡って行われた。
それが終わる頃にはシンジは疲労を感じずにはいられないようになっていた。
アスカはそんな素振りを垣間見せる事でさえもありはしなかったが、ほとんど無口になり著しく機嫌が悪いようにしか見えなくなっていた。
「(…僕にも…余裕がなくなっていた…でも…何もできない程じゃなかった…アスカの事を見る事だって…気にする事だって…できていたんだ…声をかける事だって…できた筈なんだ…)」
シンジは確かにアスカの事を見ていた、様子を覗う事も感じる事もできていた。
でも、だからこそ、アスカの事を見て感じて不機嫌そうにしているのが分かっていたから、何を言う事も何をする事もできずにいた。
「(…僕はまた…逃げていたんだ…避けていたんだ…アスカの事を考えてそっとしておくのがいいと思ったんじゃなくて…自分の事しか考えないで…当たられるのが嫌で…傷つけられるのが恐くて…何もせずに…何もできずにいたんだ…)」
アスカの事をちゃんと見る事のできなかった自分、目を合わせる事もできなかった自分。
シンジはその時の自分の事を思い返していた。そんな時にこそ何かをしなければ、声だけでもかけなればならなかったというのに。
「(…結局…僕にできた事といえば…別れ際に…“また明日、お休み”と言った事だけ…)」
その時、アスカは一言、うつむき加減のままで、“お休み、シンジ”と答えただけであった。
その時の事を思い出して、シンジは辛そうに、悲しそうに表情を歪める。
「(…アスカ…寂しそうだった…辛そうだった…でも…それでも…それを隠そうとしていた…僕にそれを見せないようにしようとしていた…)」
そして、シンジ自身もまた家に戻った後で、どうする事もできない空虚さを感じずにはいられなかった。
「(…僕も…寂しかった…アスカがいなくて…一人きりで…傍にいるのが…一緒にいるのが…こんなに当たり前になっていただなんて…)」
その時シンジは、アスカの存在が自分にとってどうゆうものであるのか思い知らされていた。
その存在が身近にあればある程、傍にいるのが当たり前になっていればなっている程にその存在が失われた時の喪失感は大きく深いものになる。その時のシンジは正にその状態にあった。
夜の部屋で一人きり、シンジは自分が闇の中に呑まれていくような感じを受けずにはいられなかった。
「(…でも…僕はまだ…自分の家の自分の部屋で…眠りに逃げる事ができた…でも…アスカは…)」
それを思う時、シンジの胸は締め付けられるような苦しさを感じずにはいられない。
「(…アスカは…僕と分かれた後も…待機任務…仮眠はとれても…眠りに安らぎを求める事なんて…できなかったんじゃないだろうか…)」
シンジは一人夜の待機室にいるアスカの姿を思い浮かべていた。
その心中を思い遣る時、シンジ自身どうする事もできない切なさと悲しさとを感じずにはいられなかった。
そして、繰り返されていくそんな日々。
アスカの心も身体も疲れ果てていくのは当然の事であった、人間らしい心を持つ者なら誰でもそうなって当たり前であった。
誰よりも豊かな感情、くるくると良く変わるその表情。
シンジは思わずにはいられない、アスカはどれだけのものをその心に感じていたのだろうか、何もしない自分にどれ程のものを思い何を感じていたのだろうかと。
自分のした事といえば会った時と分かれる時の挨拶、ただそれだけ。
初日に持つ事のできた会話以外には正にそれだけしかしていなかった、それが事実でしかなかった。
“今日も頑張ろう、アスカ”
“それじゃ、お休み、アスカ”
それだけだった。
一日の内に持てたものといえばただそれだけでしかなかった。シンジがアスカにした事といえばたったのそれだけであった。
後はただ、その姿を見ている事しかできなかった。アスカが疲れ果てていく姿をその目に映している事しかできずにいた。
「(…僕は…何もできなかった…この週末の三日間は…僕もネルフに詰めていたけど…それでも何もできはしなかった…交代で待機して…別々の部屋で寝て…隣の部屋だってゆうのに行き来もしないで…それぞれの部屋に入る別れ際に…いつもと変わらない挨拶をしただけ…)」
そうして、その一週間は終わりを告げた。
そして今、シンジとアスカは帰ろうとしている。アスカは一週間ぶりの、シンジは三日ぶりの我が家に向けて。
シンジは意識を現実の元に戻して、どこか切なげな、儚むような瞳をアスカに向ける。
アスカは何も変わらぬまま、アスカのままのアスカでいた。
不機嫌なように、張り詰めたように、その内に何かを秘めたまま、それを表す事なく、シンジが自分の考えに埋もれる前と変わらないままでいた。
そんなアスカを目にしてシンジは、悔しげに悲しげに、僅かにその瞳を細める。
「(…こんな僕だもの…アスカが何かを伝えてくれるだなんて…アスカが内に秘めているものを分かち合ってくれるだなんて…ある筈もない事だよね…)」
そう思う時シンジは表情を貶めかけるが、次の瞬間にそれは何かを決めたような、そんな自分を叱咤するような引き締められたものになっていた。
「(…確かに僕は何もしなかった…でも、それがどんなにか嫌な事なのか分かった…思い知らされた…)」
一人でいた一週間の事、何もしなかった自分、何もできなかった自分、シンジはその事を改めて思い返し、自身の内に刻み付けていた。
「(もう嫌なんだ、後悔するのは、一人でいるのは嫌なんだ、何もできないなんて嫌なんだ)」
シンジはその双眸に確かな意思の煌きを宿し、アスカの事を見つめる。
そして、自分の一番望んでいる事をその胸の内で言葉にする。
「(もう、アスカの事が分からないのは嫌なんだ)」
シンジは確かにアスカを見つめて己の内で想いを固める。
アスカに伝わる事は望んでいなかった。それは自分の事、自分がしなければならない事に他ならなかったから。
自分が自分の決めた事をちゃんとできなければアスカに何を望む事もできはしないと、そう思っていたから。自分で自分にそうだと決めていたから。
「(アスカ、僕はアスカの事が知りたい。そして、少しでもアスカが安らげるように助けたい、支えたい)」
シンジは想いを込めてアスカを見つめる。
揺らぎのない、一点の曇りもない、自身の意思を宿した、澄みきった瞳で。
その心も瞳も、すぐ傍にいる自身の大切な存在、アスカだけしか映していなかった。
「(アスカ、僕、頑張るよ、アスカの事が分かるようになるって、アスカに僕を分かってもらえるようになるって)」
シンジの表情は気負った厳しいものから、穏やかで暖かなものに変わっていった。
それは自分の想いに自身が満たされたからであろうか、それが例え一人よがりであったとしても、シンジは自分の内でそれを決めていた。
決して譲れない、初めて持つ事のできた自身の想いとして、それを胸に抱いていた。
「(だから、アスカ、無理しないで。アスカは一人じゃないから、僕がいるから)」
ふと、アスカが何かに気付いたようにして一つ瞬きをする。
「(絶対に僕が、傍にいるから)」
シンジは変わらず、アスカを見つめ続けている。
アスカがゆっくりとシンジの方に顔を向けてきた。
黒の瞳と蒼の瞳が合わせられる。
シンジは小揺るぎもする事なしにまっすぐにアスカを見つめる。
自身の心を、想いを露にしたその瞳のままに。
アスカはそんなシンジに、これまでに見た事のないその瞳の色に惑うような表情を浮かべる。
シンジは優しく柔らかくアスカに微笑みかけた。
アスカは、えっ!?という感じで胸元に手をやりならがら、それでもシンジから視線を外せずに、自身もまた、まっすぐにシンジを見つめ返していた。
心も瞳も捕らわれている、そんな感じがアスカ自身、していないでもなかった。
「…な、なに…?」
余程戸惑っていたのだろうか、それともそれ程までにその疲れは酷かったのだろうか、揺れるような、どこか弱々しい声がその桜色の唇から漏らされてきた。
揺れる瞳のまま、惑う表情のまま、アスカはシンジにそれを投げかけていた。
そんなアスカを目にして、瞳に映して、シンジは自分の想いが自身の絶対のものになるのを感じずにはいられなかった。
頑固者の血筋、こうと決めたらテコでも動かない、それが今シンジにももたらされていた。結局、何をどう思おうとも、シンジはあの父親の息子といったところであろうか。
自身の全てをかけて守るもの、やり通す事、シンジは今それを手にしていた。
そのための一歩、これから自分がしていく事、その始まりを記す事をシンジは決める。
それはとてもつまらない事、でもシンジにとっては大切な事、とても勇気のいる事。
心に感じた事、それをそのままシンジはアスカに送った。
「…お疲れ様だね、アスカ」
それを受け取ったアスカは瞳をパチクリとさせる。
シンジは変わらずアスカを見つめ続けている。
そして、今自分にできる、心からの、最高の笑顔をアスカに送った。
そんなシンジにアスカは自分を取り戻したようにして自身もまた笑顔でそれに応える。
でも、すぐに不機嫌なような表情になるとそっぽを向いてまた頬杖をついた。
「…ばぁ〜か、真面目くさった顔して何を言うのかと思えばそんな事!?。お疲れ様だなんて、そんなのあったり前じゃない」
そんなアスカにシンジは少し困ったような表情になって、うん、そうだね、とだけ答える。
「アンタ、本当に分かってんの?」
そっぽを向きながらもアスカは追求の手を緩めない。
「う、うん。分かっているよ。アスカがお疲れ様だって事」
決めた事は決めた事としても人がそんなに急に変われる筈もなく、シンジは少し怯みながらも、どもりながらも、でもちゃんとアスカと受け答えをしていた。
少し押され気味になったシンジはいずまいを正して、自分の思うところをアスカに告げる。
「帰ったらお風呂沸かすよ、夕ご飯も早めにして、今日はゆっくりと休も?」
それは心からのもの。シンジがそうしたいと、少しでもアスカに安らいで欲しいと思ってしようとしている事。
そのシンジの心遣いがアスカに届いたのか、受け取られたのか、それは分からなかったが、アスカはシンジの方に顔を向ける事もなくそっぽの方を向いたまま、いいわよ、任せる、と答えただけであった。
シンジにはそれで十分だった、自分のしようとしている事が受け入れられた、それだけでも心が満たされるようでもあった。
一つ頷くとシートに身を預けて、これからする事をあれやこれやと考え始める。
ふと、アスカの身体が揺れている事に気がついた。
あれからそんなに時間もたっていない、というよりも直後、アスカは頬杖をついたままうつらうつらとし始めていた。
シンジからもたらされたものに安心してしまったのだろうか、それとも疲労が限界を超えてしまったのだろうか、張り詰めていたものはなくなり、緩やかに穏やかに眠りの淵に落ちようとしていた。
時折、カクン、となりながら、それでも起きていようとしているのか、姿勢を正したまま、くっつきそうになっている瞼を何とか持ち上げようとしている。
そんなアスカにシンジはどこか安心したような表情を浮かべると、そっとアスカに手を差し伸べた。
アスカはそれに気がつかずにまた身体を揺らす。
その身体が、シンジとは反対の方に傾く。
シンジはアスカの制服のブラウスの肩口をそっとつまむと、僅かに自分の方に引っ張った。
ふえ?、と声をもらしてアスカはシンジにもたれかかる。
ん〜〜、という感じで不機嫌そうに、眠たそうにしてアスカはシンジを重くてやぶ睨みのようになっている目つきで見上げる。
そんなアスカにシンジは自身を近づけて囁くようにして語りかけた。
「…お休みよ、アスカ。駅に着いたら、僕が起こしてあげるから」
アスカは少しの間黙っていたが、ん、とだけ答えると頭を、コテン、とシンジの肩に乗せた。
モソモソと少し動いて居心地のいい場所を探し、それを見つけるとそのまま動かなくなる。
シンジはアスカを支えるようにして肩に手を回す。
ん…、と僅かに吐息をもらし、シンジの腕の内にいる大切な存在は、そのまま安らかな寝息を立て始めた。
安心しきったような、心から安らいでいるような、無垢な寝顔がそこにはあった。
微かに微笑んでいるかのような、嬉しそうにしているかのようなアスカの表情…。
シンジは想いを改めて噛み締めていた、自分の精一杯で、それ以上で、自分の決めた事をやり通してみせると意を決していた。
今この腕の中にいる存在に、自身の全てをかけてみせると。
それが、それこそが、自分が本当に望んでいる事なのだから、心からそうしたいと願っている事なのだから。
シンジは自身の瞳に映っているものを愛しむように、慈しむように見つめ続けている。
守るように、抱くように見つめ包み込む。
二人の心はこの時、間違いなく一つになっていた。
<Episode1 End>
先ず最初に私信をば。
自部屋6000Hit万歳!、ありがとうございます、皆様(大感謝)。
続きまして。
亜空間様、退院おめでどうございます&全快前祝いでございます。
さて、少しは真面目なお話をば。
真に失礼ながら今回の作品は極めて試験的に作成致しました。
私が甘い話しを意図して作ろうとしたら一体どのようなものになるのか、自分自身を試す意味でもやってみようと思い立った訳でして。
そのようなものを投稿するなど図々しいを通り越していけ図々しいというものでしょうが、これをお読みになられた読者の方々がどのように思われるのか反応&感想が欲しくて投稿する仕儀と相成りました。
という訳でこちらの方では感想大募集です。面白かった、つまんねぇ、やめてしまへ、等、なんでもいいです。とにかく送ってくださいませ。
…という割には自信なかったりして、余り甘くないかな、これ。
どうにも塩っ気が抜けきらないですね、私の書くシンジ君は何ともウジウジしたヤツで、執筆している最中にも私自身、うき〜うざってえ!、と何度猿になりかけた事やら。
ちなみにこれ、続編構想だけはありますが、何かの記念、お祝い事があった時に書こうかと思っています。或いは連載の方が一区切りついた時とかでしょうかね。
メールが沢山きたら書かなきゃならないでしょうけれども、こちらの方は望み薄かな。いちお、八通超したら手を付けるという事で、もちろん掲示板の方も数にいれますよん(←密かなメールの強要、きったねぇやつぅ〜)。
何はともあれ、お読みくださった方々、ありがとうございます。次は連載とこちらとどっちになるのかは分かりませんが、またお会いしましょう。それでは。
1999.7.21 pm 10:50 TAKA
うっひょー、ウマイっす!ウマイっすよTAKAさん!\(●> _ <●)イカスね というわけでTAKAさん、初の短編投稿ありがとうございますー。\( ^ 0 ^ )/わーい 疲弊したココロとカラダ。それが、頑なに自分の心の内に籠もる力すらも奪ったんですねー。 追いつめられた先で見つけたモノはきっと本物だと祈りましょう。 さあ、シンジ君のココロの機微を見事に描いたTAKAさんに、感動したッスなどなどの感想を送りまくっちゃいましょー。\( > 0 < )イケルっす |
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